ホーチミン市で空港に一番近いホテル

イビスサイゴンホテルから見渡すタンソンニャット空港
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昨夜は私がコンサルティング業務を請け負っているアパレル会社の社長さんと食事。
夕方、お泊りのホテルまで出向き、隣のベトナム北部料理の店で食事した。
お泊りのホテルは、タンソンニャット空港に一番近いIBIS SAIGON AIRPORT。
空港ターミナルビルのほぼの向かいにあって、屋上からは離着陸する飛行機が見えるほどの至近距離だ。
イビスサイゴンホテルのロビー
イビスサイゴンホテル内スターバックス


空港ターミナルビルの出口からも見える至近距離の新しいホテル

この社長さん、以前は別のホテルに泊まっていたのだが、新しいし、便利だし、清潔で、まあ快適とのことで、最近はもっぱらこちらのホテルにお泊りになられている。
それでいて、しっかりした建物で、ロビーも広く、スターバックスまで入っていたりする。
社長の取引先の縫製工場は空港の北側にあるので、できるだけ空港に近いところに泊まりたいという希望にぴったりだったという。
今やホーチミン市の工場は大方郊外に出ていっているので、市内北部のホックモン区やクチ、隣のビンユン省やドンナイ省などへのアクセスにはこのホテルは便利だ。
空港からは歩いても来れる距離だが、ホテルが車で送迎してくれるという。空港から近いと言っても、歩道が整備されているわけでもないので、送迎サービスがあるとやはり便利だ。空港へは30分ごとにシャトルバスがでているが、迎えの車は事前に予約をしておいたほうが無難。
 

屋上レストランの大型スクリーンでワールドカップの日本勝利に歓喜

先日のワールドカップの日本の初戦の日は、この社長にお呼びいただき屋上のレストランで食事しつつコロンビア戦を観戦した。
観戦前に社長には「試合はまったく期待できないですけど」なんてメールしておいたが、結果はご存知の通り、日本の勝利で、その後の決勝ラウンド進出に弾みをつけた格好となった。
大型スクリーンがあって、サッカーの観戦にはうってつけだ。
利用客はほとんどが欧米人のようで、アジア系は少ない。日本の勝利に酔いしれたのは私たちだけのようだった。
イビスサイゴンホテル 屋上レストラン
屋上には、他にプールも付いている。小さなプールなので、しっかり泳ぐには物足りないかもしれないが、暑い日に仕事の後、軽くひと泳ぎするにはいい。
プールからは空港の眺めも良いので、南国のフルーツジュースやカクテルを飲みながら、まったりするのもいいかもしれない。
イビスサイゴンホテルの屋上プール

周囲には地元料理の安くて旨い店が揃う

屋上でのレストランで食事するのもいいが、ホテル近辺にも地元料理の店が何軒も揃っていて、現地の料理が食べたいなら、ホテルの周囲のレストランもなかなか見過ごせない。
空港周辺のこの地域は北部出身の人たちが多く住んでいるので、北部料理の店が目立つ。
ホテルのすぐ隣にあるDau Homemadeもブンダウという北部の名物料理の店だ。
そうめんのようなブンの塊と、揚げ豆腐を中心に、他に肉のつみれや薄切り肉など肉類の具材が皿に盛り合わせられる。
これをマムトムというエビの塩辛ソースにつけて食べる。典型的な北部料理だ。
マムトムは塩辛だけに強烈な臭いがするのだが、慣れてくると病みつきになってしまう。
ブンダウマムトム
さらには、これまた典型的な北部料理のタニシの肉詰め。昨夜はウエートレスが我々の注文を取り違えて、この料理が出てきたのだが、ふと周囲を見渡すと、どのテーブルでもこれがのっかっていた。この店に来たら、誰もがこれを注文するので、ウェートレスもまちがってしまったのだろう。社長がこれでもいいですよと言って、そのままそれをいただいた。
タニシの肉詰め
昨夜はこれにビールを3本ずつ飲んだ。
それで、しめてお代は二人分で23万ドン(1200円)。
破格の安さ!
 
 

早朝便の前日に

空港に近いので、国内便で他の都市に行き来するときには実に便利で使える。
とくに、日本人の場合、東京行の早朝便の前日に泊まられる方は多いようだ。
 

 
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思わず唸る旨さ!蒸し焼き料理専門レストランChang Kang Kung

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昨夜は友人とイオンモールで会って食事した。

イオンモール・タンフー店の2階の飲食街を歩いていると、蒸し焼き料理専門の店があったので、そこに入ってみようということになった。

 

蒸し焼き専門レストランChang Kang Kung

入る前はわからなかったが、よく見るとどうやら韓国レストランらしい。

韓国料理と言えば、まずは焼肉が思いつくものだが、この店は蒸し焼き専門である。

友人と2人だったので、奥の2人席に通された。奥の席とはいっても、間仕切りもなく外のモール内を歩く人たちからは丸見えだ。だが、そんなことは気にしない。

各テーブルには、専用の蒸し焼き器が設置されている。

注文は専用用紙に自分で書き込むようになっている。

 

海鮮メニュー中心の蒸し焼き料理

このレストランのメニューは肉や野菜もあるが、中心は海鮮だ。

他に点心類もある。

同行の友人と話し合い、うちわエビとムール貝と野菜のセットを注文することにした。

うちわエビとかムール貝とか他でもないではないが、ちょっと珍しいラインナップだ。

これ以外に、おかゆが無料でついてくる。2人ならこれで十分だろう。

テーブルに備え付けの蒸し焼き器は、2階建て構造になっていて、「地上」部分で蒸し焼きをし、「地下」の鍋でおかゆを作れるようになっているらしい。上の具材を蒸した際に出る汁は下のおかゆ鍋に落ちる仕組みだ。

飲物が出され、具材が運ばれてきた。

調理は目の前でウェーターがすべてやってくれた。

 

まずは、ムール貝

ベトナムにも、ムール貝系はいろいろ種類あるが、ここではイガイ(Vẹ)を注文してみた。

ムール貝

貝の殻をほんとにきれいに洗ってあって、ローカルレストランとは一味違うと感心する。これなら、安心できるし、海外からのお客さんをお連れするにもいい。

 

次に、野菜のセット。レタスとオクラとズッキーニとエノキのセットを選んだが、他にもいろいろセットの種類はある。

単に蒸し焼きしただけだが、野菜本来の美味しさを味わえて、思わず「旨い!」と唸った。

 

最後に、メインのうちわエビ(tôm mũi ni)。

このエビは日本でも西日本を中心にあるらしいが、私自身は日本で食べた記憶がない。(実は、子供のころ、エビ・カニがまったくダメな子だったというのもあるかもしれない)

エビの姿を、日本語では【内輪】に見立てているが、英語では【スリッパー】で、ベトナム語では【尼僧の頭巾(mũi ni)】らしい。いずれも、なるほどと思わせる素敵な比喩だ。

この海産物を、つい先日、フーコック島でチーズ焼きで食べたが、シンプルな蒸し焼きも旨い。

うちわエビは伊勢海老と比較されるくらいの旨い素材なのだ。

 

ベトナム人をターゲットにした店づくり

蒸し料理、蒸し焼き料理というのはベトナム人の好む調理方法だ。

炒めたり、揚げたりという油を使った調理をベトナム人は非常に気にする。

野菜など蒸したり、茹でたりという油を使わない調理方法が非常に好まれる。

さらには、円卓も大勢で集まって食べるベトナム人客には受けがいいはずだ。我々のすぐそばに円卓が並べられていたが、大勢で楽しそうに和気藹々やっていた。

 

VATインボイスは電子メールで送付

食べ終わって勘定の際、勘定明細の下にVATインボイス受け取り用の用紙がついていた。

会社の経費で落とす場合に、用紙に必要事項を記入するようになっている。

見ると、電子インボイスでメールで送付してくれるとある。

地元のレストランだと、受け取りまでにやたらと時間がかかったりして面倒なのでもらわないこともある。ここは記入しておけば後からメールで送ってくれるようなので用紙に記入してみた。

生憎、名刺を持ち合わせていなくて、VATコードがわからない。

もたついていると、ウェーターが気を利かせて、会社名と住所から調べてくれた。

必要事項の確認用紙を持ってきてくれ、目を通して、OKを出すだけだった。

実にスマートで気持ちのいい会計だ。

食べものが美味しくても、会計の時にもたついてイライラさせる店が少なくないが、ここは最後まで気持ちよかった。

店を出て、しばらく歩いていると、携帯に何かメッセージが入ったようで見てみると、レストランからのインボイスがメールで入っていた。

 

まとめ

Chang Kang Kungは海鮮中心の蒸し焼き料理専門韓国レストラン。

蒸し焼き料理の美味しさを実感させてくれた。

ベトナム人をターゲットにしているようで、地元民の客の入りはよかった。

食べものも実に清潔だし、領収証もスムーズに出てくるし、会社の接待でも使いやすい。

 

Chang Kang Kung

Unit F-37, 1F, Aeon Tan Phu Celadon

30 Bo Bao Tan Thang, Distr. Tan Phu

phone: 028-6264-7427

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メコンデルタの旅–カントーで泊まった4つ星ホテル

Holiday One Hotelからの眺め
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最近、旅に出るときに宿泊先はAIRBNBを使って予約することが多いが、田舎だとそもそも登録されている物件がなかったり少なくて意に沿う選択肢がなかったりする。

カントーも田舎町なので、ホテル予約サイトを使って宿泊先をとることにした。

 

お得な4つ星ホテルを予約する

ベトナムでホテルを予約する際には通常AGODAを使っている。

このサイトは東南アジアに強いとか。

Holiday One Hotelという4つ星ホテルがプロモーションしているというのでそれを取ってみた。

 

落ち着いた感じの簡素な客室

ホリデイワンホテルの客室

落ち着いたたたずまいの静かな部屋だったが、作りは極めて簡素。

これでも4つ星かとは思う。まあ、いい。

道中がドタバタ劇だったので、ホッと一息つけた。

ホリデイワンホテルの客室廊下にカーペットが敷いて会って静かでいいのだが

 

エレベータの謎

階下に降りようとエレベータに乗る。

BとLのボタンが並んでいたので、Lを押した。

エレベータが止まって、ドアが開くとどうやら中2階のレストランフロアの模様。

1を押してみ、着いたのは客室フロアだった。

はて、困った。

どうしたものか?

何気にふと振り返るとそこには…

こんなボタンの配列初めてだ。

 

ホテルの前に大きな水たまりが

ホリデイワンホテルの入口

一息ついた後で、出かけることにした。階下に降りる。

エントランスを外に出ると、ホテルの前に水が溜まって道に出られない。

やむなく舗道を沿っていった。

戻ってくるときも水が溜まっていると嫌だなあと思ったが、戻った時には水はきれいに退いていた。

だが、このときはまだたいしたことはなかったのだ。

 

翌日、水上マーケット(Floating Market)を見学しに出かけた。

見学終えて戻った時に真の姿を見た。

 ホリデイワンホテル前の洪水

水上マーケット(Floating Market)を見学して戻ってみたら、ホテルも水上ホテル(Floating Hotel)になっていたという笑い話。あまり笑えないが。

あとでこのホテルの画像を探そうとホテル名を検索してみると、多くの人がこの洪水状態をアップロードしていた。

 

とんでもない4つ星ホテルだった。

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メコンデルタの旅–初日カントーへ

異常事態発生
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1月3日、朝のバスで旅に出るとするのだが。

 

「ベトナム・クオリティー」のバス会社の対応

現れた巨体の男

カバ

トラブル事態発生

車の故障

いすゞ

カントー中央バスターミナル

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メコンデルタの旅–準備編

メコンデルタ
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 休みは取れるうちに取れるだけ 取っておきたい。そういう意味では日本の正月休みはチャンスだ。

ベトナムは基本的に新暦の正月は休まないが、日本側が休んでいるので、メールや電話も来ないし、ちょっとのんびりしている。

暦の具合を見て、今週いっぱい休むことにした。

 

目的地はフーコック島だが

休んで、どこに行くかと言えば、今や私の休暇先の定番フーコック(Phu Quoc)島なのだが、今回はちょっと趣向を変えて、飛行機を使わず、船で島に渡ることにした。

いつもは飛行機で飛んで、わずか1時間で着いてしまう。

毎回同じだと飽きてくるので、ちょっと行き方を変えてみることにした。

ホーチミン市からメコンデルタを西にラクザー(Rach Gia)という町まで行き、そこから船でフーコック島に渡るというわけだ。

ホーチミン市からラクザーまではバスで6時間くらいかかる。

バスに6時間も閉じ込められるのはゴメンなので、途中カントー(Can Tho)に1泊することにした。

カントーはメコンデルタ最大の都市で、ベトナムの五大中央直轄都市の一つでもある。

こうすれば、バスの乗車時間が2回に分けられ、それぞれちょうど3-3.5時間ほどとなる。

 

ホーチミン市-カントー間の移動手段は…

ホーチミン市-カントー間はベトナム南部の大動脈の一部にあたるので、多くの車が走っている。

途中には、ティンザン(Tien Giang/前江)とハウザン(Hau Giang/後江)というメコン川の2つの大きな支流が横たわっていて、かつては渡し船で渡るしかなかったのだが、今ではミートゥアン(My Thuan)橋とカントー大橋の2本の大きな橋が架かっており、直接カントーまで行けるようになった。

それにつれて、かかる移動時間も大幅に短縮されて、ホーチミン市からカントーまでは3時間半くらいで行けるようになった。

 

VIP向けの高級リムジンバス

この区間には数多くのバスサービスがあるのだが、今回調べてみると、Son Nguyen LimousineというVIP向けの少人数のリムジンバスで結ぶ便があったので、使ってみることにした。

会社のウェブサイトを見ると、マッサージ機の座席を擁した高級車両の触れ込みがある。

このバスは、他のバスのように、ホーチミン市外れの西部バスターミナル発ではなく、市内10区から出発するということである。到着地もカントー市内の中心なら、目的地まで送ってくれるという点も魅力的だった。

バスの料金は座席の種類によって18万ドンあるいは16万ドンだが、ホーチミン市の10区とバスターミナル間およびカントー市のバスターミナルと目的地の移動を考えると、ターミナル同士を繋ぐ大手Phuong Trang社のバス料金11万ドンと結局変わらないか、あるいは、こちらのほうが安くつく。そのうえ、時間もきっと短縮できるだろう。

紹介ページにはいろいろいいことが書かれてあったが、ベトナムの会社のサイトなので、まともに信じてはいけない。

料金が変わらないくらいで、時間が短縮でき、便利であればいい、あとは期待しないでおこうと思った。

でも、試しに、ウェブサイトにあるお問合せフォームを使ってみた。

 

ベトナムの会社のウェブサイトのお問合せフォームには返事は来ない

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なぜベトナムなの?

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ベトナムに住んでいると言うと、なぜベトナムなのかと訊かれることがある。

仮に海外在住という括りなら、アメリカやヨーロッパや中国やら選択肢はいろいろある。

東南アジアに限ってみても、シンガポールやタイやマレーシアだってあるだろうにということだろう。

最近でこそ、日本からベトナムに来る旅行者も増え、日本に住むベトナム人も急増して、ベトナムは遠い国ではなくなってきたが、私が住みだした20年以上前のベトナムは日本人には馴染みの薄い珍しい国だったのだ。

「なぜベトナムなの?」という問いの中には、海外の国なら他に馴染みのある国々がたくさんあるのに、わざわざそんな変わった国に行くの?という疑問が潜んでいるのだろう。

ダイヤモンド社が1979年から出版している旅行ガイドブック「地球の歩き方」には、私が初めてベトナムに訪れた1993年当時「フロンティア編」というのがあって、西アフリカやブータンなど、ちょっとやそっとで行けない秘境地域を集めたシリーズがあったのだが、ベトナムはそのシリーズの中にはいっていた。

当時のベトナムはそれくらい未知の国だった。

にもかかわらず、私の身近にはベトナムに関わった人が3人もいて、それが私をこの国に誘うきっかけをあたえてくれたのだった。

その3人がいずれも不思議な魅力を持った人たちで、彼らに導かれるように私はベトナムに訪問することになったのだった。

学習塾のM塾長が語り聞かせてくれたベトナム戦争中のサイゴンのこと

13回ウルトラクイズに出場した1989年当時、私は東京江東区亀戸の学習塾に講師として勤めていた。

番組の中でも私は塾講師として紹介されている。そこの社長がM塾長である。

この塾長は、ウルトラクイズのことを知らず、私の休暇申請に渋い顔をしながらも、最終的には認めてくれた方である。

ウルトラクイズの旅から戻り、番組の放送が始まると、テレビで私を見た生徒や父兄が騒ぎ出し、ようやくこの時私が出た番組の影響力の大きさに気付くのだった。

塾長は学習塾のいい宣伝になったことを喜んでくれ、以後、私はテレビ番組出演のための休暇申請がしやすくなった。

M塾長はこの学習塾を立ち上げるはるか以前、ベトナム戦争当時のサイゴンに商船関係の仕事で駐在されていたか、出張で頻繁に行かれていたようだった。

事あるごとに、昔のサイゴンの華やかなりし時代を語ってくれた。

マジェスティックホテルに泊まって、朝、階下のレストランで炒飯を食った話、シクロに乗って出歩いた話などを何度となく聞かされた。

昔のベトナムの現地の生の体験を語ってくれた唯一の人物だった。

楽しかった懐かしい体験を語る姿が印象的だった。彼の笑顔がきっと最初の引鉄だったのだ。

師事した翻訳家長島良三氏はC・ドヌーブ主演映画「インドシナ」の原作小説訳者

大学を卒業して、フランス語の翻訳家を目指していた私は、東京に出てくると、働きながら、フランス語翻訳学校に通い勉強した。その学校の講師を務めていたのが、プロのフランス語翻訳家として活躍されていた故長島良三先生だった。

長島先生は、翻訳物の出版で知られる早川書房で「ミステリマガジン」の編集長などをされた後、退職され、翻訳家として活躍されていた。

映画で一世を風靡した「エマニュエル夫人」の原作や「メグレ警視シリーズ」という警察小説などの翻訳で名を知られていた。

東京にいた5年間、私はずっとこの先生のもとで勉強し、その間、4冊ほど下訳を任せていただいた。4冊の小説は先生の名前のもとに無事出版された。だが、日本を離れることになり、結局、フランス語の翻訳家への道は断念する。

私が東京に住んでいたころ、フランスでは、かつて植民地としていた仏領インドシナ時代を懐古するインドシナブームが起こっていた。

1984年にフランスの女流小説家マルグリット・デュラスが書いた自伝的小説「愛人/ラマン」はゴンクール賞を受賞し、世界的ベストセラーとなっていた。

この小説は1992年にジャン=ジャック・アノー監督により、主演ジェーン・マーチ、レオン・カーフェイらのキャストらで映画化され、大ヒットした。

ちょうど同じころ、やはり植民地時代のインドシナ南部を舞台にしたカトリーヌ・ドヌーブ主演の映画「インドシナ」も好評を博した。

原作は小説家クリスチャン・ド・モンテラによるもので、長島先生がこの本を翻訳された。

ベトナム戦争以後で、一般の人がベトナムに関心を持ったとしたら、おそらく多くの人がこの2つの映画に感化されたのではないだろうか?

それでも、この2つの映画がテーマにしたのはフランス植民地時代のベトナムであって、リアルタイムのそれではなかったのだ。

翻訳出版社の上司さんは、解禁直後のベトナムを旅し、生の実情を伝えてくれた

英会話学校で有名なベルリッツには翻訳の部門があって、私はその翻訳部門に編集担当として勤めていた。ベルリッツの知名度を活かして、企業向けのビジネス翻訳を扱う部門だった。

でも、私が興味のあるのは出版だったので、この翻訳部門から出版部門が分離・独立するという話が出てきたとき、すぐさま、それに飛びついてしまった。

飛びついてしまったという書き方をしたのは、結果的にこれが職を失うきっかけになったからだ。

独立後、ほどなく当時の福武書店(今のベネッセ)がベルリッツの日本法人を買収してしまった。

福武書店自身は、その名の通り出版社でもあったので、知名度のあるベルリッツの英会話学校さえ手に入れば、出版部門は不要だった。それで、買収後、出版部門は閉鎖されることになった。19937月末で私は職を失った。

じつは、この出版部門を立ち上げたのが、翻訳部門の上司だったYさんで、この人はちょっと風変わりなおじさんだった。

当時はバックパッカーという言葉もなかったが、手提げかばん一つで世界中どこでもひょいひょいと旅するような人だった。いまごろどこで何をしているのだろう?

ここに掲載した「海外旅行会話ブック」シリーズは私が当時編集に携わったもの。

このYさん、1992年ごろ、当時はまだ自由にベトナム国内を旅行できる時代のベトナムを旅行して、体験を語ってくれたのだった。

旅して、体験を語るだけのことがどうしたと思われる方もいるだろう。

これがどれだけ貴重なのかを知るには、当時の状況を理解しないとわかりはしない。

今と当時ではまったく状況がちがうのだ。

当時はベトナムを旅行したい人はベトナム・ツーリズムという唯一の国営旅行会社を通して、旅行を申請し、ベトナム到着後もガイドという名の監視役を同行しないと国内移動が許されない時代だった。

19934月になって、この制度がなくなると、これを「自由旅行解禁」と呼んだ。

日本とベトナムの関係はベトナム戦争後、ベトナムがカンボジアに介入をはじめると、経済制裁を課し、交流はまったくなくなっていた。1980年代のベトナムは日本からすれば、いわば鎖国している国だった。1980年代末になって、ドイモイ政策という改革が始まり、カンボジアに駐留していた軍を引き上げるようになって、ようやく国交が正常化されていく。

1990年代はじめに商社などが駐在員事務所を置くまでは、ベトナムには日本の民間人はほとんど皆無だった。

ベトナム側もそのころ初めて、東西冷戦時代の西側諸国を受け入れだしたばかりなので、外国人の動きには常に監視を付けていた。当時の商社の駐在員らにはスパイの嫌疑がかけられ、日ごろから皆、尾行がついていた。

外国人と接する人たちは、数少ない外資企業に勤める人たちと旅行会社のスタッフくらいのもので、日常で外国人と接触する人はいなかった。へたに接触しようものなら、その人たちまであらぬ嫌疑をかけられる恐れがあるからだ。市場の物売りですら英語ができる者の人数はごく限られていた。

今なら北朝鮮を旅行することを想像してもらえばいいのではないだろうか。

私の当時の上司のYさんはそういう国の旅行体験を語ってくれたのだった。

まとめ

日本にとって、ベトナムがまったく未知の国であった1990年代初め、私はたまたま身の回りにいた別々の3人の人物を通じて、ベトナムと接触を持つことになった。

学習塾の塾長M社長はベトナム戦争時代のサイゴンの思い出話を語り聞かせてくれ、

フランス語の翻訳家長島良三先生に師事したことで、小説や映画を通して植民地時代のインドシナ南部に触れる機会を得た。

勤めていた翻訳事務所の職場の上司Yさんは、果敢にもベトナム旅行し、当時の生の状況を教えてもらっていた。

シンガポールに移住した私が最初の休暇中の旅行先としてベトナムを選んだのにはこうした背景があったのだ。

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新年

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あけましておめでとうございます

 

2018年の正月はサイゴンの中心で迎えた。

 

街中バイクの波で動けないし、車もバイタクも捕まえようがなくて、結局、歩いて家まで帰ったよ。

ツイートに「いいね」がたくさんついている。 皆さん、ほんとにありがとう。

中には、こういう人もいるのでちょっと説明しておこう。

時は1989年9月27日。第13回アメリカ横断ウルトラクイズの準決勝ボルティモアでのこと。

もう30年近く前のことなのに、一言つぶやくだけで皆さんが思い出してくれる。

 




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「繊維ニュース」にベトナムに関するコラム連載中

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「繊維ニュース」という業界紙に4年ほど前から毎月コラムを書いている。
題して「秋利美記雄のインドシナ見聞録」。(毎月第3月曜日掲載)
初年度はかなり力んで業界ネタを中心に書いていたように思うが、最近は力を抜いてあまり肩の凝らない、ベトナムの時事ネタ中心に扱うようにしている。
ベトナムや東南アジアに興味のある方々にお読みいただけると幸いだ。

ミルクティーブーム

秋利美記雄のインドシナ見聞録(42)/フランス文化の名残が消えていく

ベトジェット航空

秋利美記雄のインドシナ見聞録(41)/若くて威勢のいいパートナーと

コンビニ

秋利美記雄のインドシナ見聞録(40)/日本のコンビニ、人気は上々

ベトナムの古代史

秋利美記雄のインドシナ見聞録(39)/紅河でベトナム古代史に思いはせる

大物政治家の失脚

秋利美記雄のインドシナ見聞録(38)/「出る杭は打たれる」

4月の気候

秋利美記雄のインドシナ見聞録(37)/最も過酷な時期

屋台など歩道占拠の撤去

秋利美記雄のインドシナ見聞録(36)/退屈な街にはならないように

南インド旅行

秋利美記雄のインドシナ見聞録(35)/巨大市場を眼前に

 

 

 

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わが心のボルティモア

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昨年、1989年の第13回ウルトラクイズの記憶をたどった26年前日記を公開してから、ぼくの思い出の奥底にあったものが再びよろよろとはばたきだした。

あのころ、クイズにかけた情熱。

それは、年末に開催されたマン・オブ・シニアで少しだけ蘇ってきた。

懐かしい友達との同窓会では、でも、久しぶりにしっかりとクイズを楽しんだ。ぼく自身は予選で敗退したのだけど。

 

1989年9月27日ボルティモア決戦

今でも多くの人たちが記憶にとどめてくれている第13回アメリカ横断ウルトラクイズのボルティモアの準決勝。

 

 

ぼくはこの番組に出場した当事者だったのだ。今からもう27年も昔のことだ。

 

結局、勝負では負けてしまったが、大舞台で神経をピリピリさせながら、ボタンを押すのは実に楽しかった。

通せんぼクイズのルールが見事に決まって、誰がお立ち台に立っても潰されて、一から出直しという過程を繰り返した。

優勝した長戸とは、学生時代、何度も夜通しで早押しクイズを楽しんだ仲だったが、まさかウルトラクイズの準決勝の大舞台でそんな姿を全国のテレビ視聴者の皆さんに見せられるとは思いもしていなかった。

でも、それが現実になったのだ、しかも、最高のパフォーマンスの形で。

そして、多くの人たちの記憶にボルティモアはウルトラクイズ最大の激戦地として記されたのだ。

 

 

記録をたどってみると…

そのボルティモアで一緒に負けて帰ってきたたー兄こと田川さんの記録によれば、あのときぼくたちがボルティモアにいた時間は24時間もない。

26日午後に前のチェックポイントであるメンフィスを飛び立ち、昼過ぎにワシントンのダレス空港に着いて、ボルティモアのホテルにチェックインしたのは16時。

ホテルを出て、皆でハンバーガーを食べ、夕食はトメさんとの会食。

翌27日は朝2時間近くの長丁場の勝負が終わって、13時にはダレス空港に着いている。

勝負が決着する瞬間まで緊張の連続で、ボルティモアにいたのかどこにいたのかわからないというのが実感だ。

 

ボルティモアってどんな町?

改めてボルティモアがどんな町なのかを調べてみると、なかなか魅力的な町らしい。

ボルチモアの名前はメリーランド植民地の建設の立役者であるアイルランド貴族院議員の第2代ボルティモア男爵、シラス・カルバートCecilius Calvert, 2nd Baron Baltimore)に由来する。爵位の名の由来のなった「ボルティモア」はアイルランドの南部にあるコーク州にある都市「ボルティモア (Baltimore, County Cork)に由来し、これはアイルランド語で「大きな家の町」を意味する「バイレ・アン・ティー・モーイル(Baile an Tí Mhóir)」が英語風に変わったものである。

町の名前はアイルランド語から来ているというわけだ。

クイズの決戦会場となったマクヘンリー要塞があるくらいだし、歴史的な建築物は多い。

古い街並みだけはなんとなく僕の記憶にもある。

カニが名物ならば、是非カニを食いにボルティモアに行きたいものだ。

そして、ボルティモアでカニを食った後には、27年前に行きそこなったニューヨークにも是非とも。

このささやかな夢が叶わんことを!

 

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ハノイではAIRBNBで3000円以内で贅沢に泊まるべし

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はじめてのAIRBNB体験のあと、3日間はハノイ郊外に滞留していた。近くに取組先の工場があって、客先の技術者の方が毎月訪問されるので、私も数日同行している。

その後またハノイへ。最初の滞在で味を占め、今度もまたAIRBNBで宿泊先を選定する。

 

今度はもっといいところに泊まろう!

初めての前回の宿泊先も申し分なかったのだが、今度は時間に余裕があり、室内にいる時間も長そうだったので、前回より予算を多めに設定しちょっといいところに泊まろうと考えた。とはいえ、結果的にはわずか500円アップしたにすぎないのだが。

ハノイは繁華街が適当にばらついているので、毎回用事に合わせて宿泊エリアを変えたい。

AIRBNBの検索機能はすぐれもので、地図で自在に検索エリアを設定できる。まず、地域を決めてから、一つ一つの物件にあたるという手順が使いやすい。

今回は個人的に馴染みのある西部の新興地域に狙いを定めた。

AIRBNB Hanoi

物件検索のページで価格を設定する際にページの下のほうに物件の価格分布図が出ている。平均価格は3000円を切っていて、物件数のピークは2000円以下。

この地域は将来的に新都心となる新しい地域で、観光客は来ることはまずない。地元の客か郊外の工場に用のあるビジネス客が多いはずだ。

私も郊外に出る用件が一つあったので、この地域が都合がいい。

3000円くらいまでの予算があれば、大方の物件はカバーできる。それで、出てきた紹介物件を見ていると、かなり整った部屋が出ていて、サービス料を含めても1泊2500円しない。

これはお得だと思い、すぐにそこに決めてしまった。

早速予約を入れて、大家にメッセージを入れる。

ハノイに限らず、ベトナムのホテルは、チェックイン-チェックアウトに柔軟に対応してくれるところが多いので、AIRBNBなら、もちろん対応しないはずはない。とはいえ、これは物件によってまちまちだ。

大家へのメッセージには、滞在予定を網羅しておく。そうすると、向こうも満足で、「バッチリ!何にも訊くことないよ」という返事が返って来た。これにて予約も完了。

 

どこが入口かわからない

宿泊当日、遠出の先から車で宿泊先に向かう。

場所はカウザイ(Câu Giấy)区のホアンクォックヴィエット(Hoàng Quốc Việt)通り。

サマセットホアビンという大型サービスアパートの裏手に当たる。

AIRBNB

守衛室の前を通ってエレベータで部屋へ上がる。

路地の住所表示が木の葉に隠れていて、見つけるのにちょっと手こずったが、大家側の人が建物の前に待っていてくれたので、すんなりと中に入れた。

ただし、ここも建物全体の守衛が半地下の守衛室に陣取っているだけなので、一人で行くと、ちょっと戸惑うだろう。

ベトナム中、独りで歩き回っている私でして、そう感じるのだから、ブログの読者をはじめとする他の方々なら、そう感じないはずはない。

予約が決まったら、チェックイン時には、迎えに出てもらうか、建物の入口の写真なり、案内なりをもらうなりしたほうがいいだろう。

この点がAIRBNBを使う際の唯一の難所と感じている。

すぐ近くにはコンビニがあって便利。

すぐ近くにはコンビニがあって便利。

宿泊先の周囲は一般の住宅地だが、外国人用のサービスアパートの類も少なくなかった。路地の交差点にはコンビニがある。

また、大通り沿いのサマセットホアビンの建物の中には、レストランやカフェ、銀行などの商業施設も入っているし、ちょっと足を伸ばせば、Fivimartというスーパーもある。

さらには、大通りを越えて、向こうに行けば、Nghĩa Tânという現地市場もあるし、その向こうには現地人向けの飲食街もあると現地に住む知人から情報を得た。

周囲の様子は大家に訊けば教えてくれるはずだが、現地に知人がいると心強い。

 

今回の物件はこれだ

日本語放送のチャンネルがいくつもはいるテレビがある広いリビング。

日本語放送のチャンネルがいくつもはいるテレビがある広いリビング。

AIRBNB kitchen

キッチンも広く、洗濯機も完備

AIRBNB bed room

キングサイズのベッドのある寝室

AIRBNB bath room

浴室はバスタブも広く、ゆっくりできる

実は写真を撮らなかったのだが、もう一つ寝室がついている。

本来なら、もう一人(あるいは1組)の客人がいると、その寝室をあてがわれるのだが、今回はいないので、すべて私が占有できたというわけである。

でも、ハノイはまだAIRBNBが一般的ではないので、こうして独占できるケースは稀でないと思う。

これが一般的になっていくと部屋は埋まるのだろうが、当面は私の今回のようなケースは頻繁にあるだろう。

 

宿泊費用はいくらなの?

今回の宿泊費用は以下の通り。

宿泊料 2174円×2泊 4347円
サービス料    621円
合計 4968円

なんと1泊あたり2500円を切る、驚異の安さ。

サービス料というのは、1回の宿泊にかかる費用で、チェックイン/チェックアウトの立ち合い、つまり、鍵の預け渡しにかかる費用だと思えばよい。

 

利用客の少ない今ならレイトチェックアウトも思いのまま

まだ利用客も少ないし、次の予約も入ってないようで、レイトチェックアウトも問題なし。

空港に向かう15時ごろまで部屋で寛いだうえで、のんびりチェックアウト。

チェックアウトの際には、大家の側のスタッフが鍵を受け取りにやってきた。

 

狙うべき物件は…

今回の物件の大家は、主に日本人向けに住居の賃貸をしている不動産屋で、AIRBNBに出ていた物件はまだ借り手のつかない物件らしい。大家側の人はその会社のスタッフだった。それで、何から何まで至れり尽くせりなわけだ。

2度ほどAIRBNBのサービスを使ってみて、このサービスをどんな場合に利用するのがもっともお得か考えてみた。

  • 友人など仲の良い複数で利用する場合は遅くまでリビングで話し込むことができるので、非常に便利。さらには、とくに大勢だと物件によっては非常に費用が安くなる。
  • 長期滞在の場合、住居仕様の部屋は便利。キッチンのついた物件もふつうなので、私のように自炊したい人にはもってこい。
  • ハノイやサイゴンで増えてきた高級コンドミニアムは投資目的で購入する人も少なくなく、そうした人たちが部屋の賃貸にAIRBNBを利用するケースは少なくない。賃貸価格は物件の内容と比べて、非常に安いケースがみられる。
  • 町の情報を得たければ、大家が一緒にいる部屋を借りるといい。現在、部屋貸ししている大家は間違いなく世話好きだ。

さしあたって思いついたのはこんなところだ。

ハノイの物件の平均価格は5000円を切るくらいだが、私がふだんよく泊まる西側の新都心地域だと、3000円を切っている。

だが、低価格とは裏腹にハノイ西部は新築の高級物件も多い。今後泊まってみるとすると、この手の部屋かなと漠然と考えている。3000円の予算を見ておけば、そうした部屋を見つけることは十分可能な感触を得た。

まだ相場が固まっていないせいもあって、バカ安い物件があるというのがこのサービスの魅力だろう。

 

まとめ

AIRBNBのサービスがまだ浸透していないハノイでは、内容のわりにずいぶんと価格の安い物件があり、部屋も一人ですべて使える可能性も高い。

ハノイに出張される皆さんは、ぜひ今のうちに活用されるといいだろう。

半年後、一年後には、状況はきっと変化しているだろうから。

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