3年前の3月11日の午後、ぼくは東京にいた。②

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金曜日の午後3時前。
とにかく銀行の用件を済ませないとという思いで、
銀行に入った。
銀行の中は最初の激震の余波もなく
平然としていた。
カウンターで用件を済ませた。
それから、新宿駅に歩いて行ったとき、
なにやら只事では済んでいないなということに気づいた。
駅に入ろうとしても、改札の中には入れず、
構内の上からぶら下がっているモニターを見遣り
事態を把握しようと考えた。
日本列島の地図の沿岸部すべてに色がついていて、
津波の心配があるのだろうと思った。
モニターは遠くて、細かなところまではわからなかった。
アポイントをしていた取引先に電話しようにも繋がらない。
あちこちにかけてみたが、どこにも繋がらない。
新宿駅西口でどうしょうかと思案に暮れていた。
とにかく揺れが続き、まともに歩いていられない、立っていられない。
タクシーに乗って行こうかとも考えたが、車を待つ客の列が異常に長い。
とても出ないが、待ってられないなと思った。
1時間位して、これだけたいへんなことになっているのだから
仕事にはならんだろうと結論づけた。
そして、ホテルに引き返そうと決めた。
昼食を取っていなくて、腹が減っていたことを思い出した。
牛丼屋で牛丼を食べたいと思った。
店は閉店の看板を下ろしているところが多かったが、
中に開けているところがあって、
そこで牛丼を食べた。
西新宿のビジネスホテルに引き返すと
エレベータが止まっていて使えなかった。
仕方なく、ロビーで待つ。
ロビーのインターネットの回線を自分のパソコンに繋いで
SKYPEを立ち上げた。
それで、ベトナムの家族や会社のスタッフに連絡がとれた。
実家からも電話をもらっていたようなのだが、繋がらない。
心配する実家の母には、SKYPEを使ってベトナムにいる妻経由で
無事だということを伝えた。
しばらくすると、帰宅難民となった人たちでロビーは埋め尽くされた。
20時頃、ぼくは自分の部屋に戻ろうと、エレベータに乗った。
そのころには、エレベータは回復していた。
部屋にいても、引き続き、揺れが続いている。
大きな揺れが来て、ビルが崩壊したら、
おれは独りで瓦礫の中で死んでいくのだろうなあと考えていた。
揺れが来るたびに、ビクビクしていた。
SKYPEでの交信はホテルの部屋で続けた。
深夜になって、
翌日、面接することになっていた
女性からSKYPEに連絡が入った。
都内で被災して、家に帰れず、
友達の友達(面識のない赤の他人)の家に
身を寄せさせてもらっていた。
SKYPEで話し合って、
翌日の面談は、翌日になってから決めようということにした。
恐怖に震えながら、その夜、床の中で独り、眠りに落ちた。

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