2014年 3月 の投稿一覧

3年前の3月11日の午後、ぼくは東京にいた。③

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2011年3月12日_泊まったホテルの飾り絵

翌朝、起きるとベッドの上に飾られていた絵が傾いている。

眠っている間にも大きな揺れがあったのだ。
建物が崩壊しなくてよかったと胸を撫で下ろす。
新人スタッフから連絡があり、電車が動きだし、家に帰れそうなので、
一旦、家に帰ってから、午後、
ぼくの泊まっているホテルまで出なおして来たいと申し出があった。
ぼくはそれを了承した。
土曜日には彼女と、実はもう一人、約束していた知り合いにあった。
彼も前日は家に帰れず、どこかに泊まっていて、
当日は一旦家に帰ってから、
ぼくの泊まっていた西新宿のホテルにやってきた。
二人はそこから夜、近くの居酒屋で食事した。
泊まっていたホテルの数軒隣の居酒屋は営業していた。
客はぼくたち二人以外には後からもう一組入ってきただけだった。
その後、8時頃、成田空港近くにとっていたホテルに向かったのだが、
京成線は、ところどころで長時間停車したりのノロノロ運転で、
やっとのこと、ホテルに着いたのは、深夜0時前だった。
成田のホテルでも揺れば断続的に続いた。
でも、翌日3月13日、
飛行機は予定通り出発し、ぼくはベトナムに戻った。
その翌日からは飛行機も欠航になったりで、
お客さんたちはたいへんだった記憶がある。
ぼくの場合は、まさしく地震のタイミングで東京に入り、
それでも、運良く予定通りにベトナムに戻ってこれた。
あの、揺れの中の生活は、
とてもじゃないが、生きた心地がしなかったろうと思う。
東北で被災された方々のご苦労や悲しみは、
到底、ぼくの想像の及ぶところではないが、
ぼく自身の被災体験を風化させないためにまとめてみた。

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3年前の3月11日の午後、ぼくは東京にいた。②

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金曜日の午後3時前。
とにかく銀行の用件を済ませないとという思いで、
銀行に入った。
銀行の中は最初の激震の余波もなく
平然としていた。
カウンターで用件を済ませた。
それから、新宿駅に歩いて行ったとき、
なにやら只事では済んでいないなということに気づいた。
駅に入ろうとしても、改札の中には入れず、
構内の上からぶら下がっているモニターを見遣り
事態を把握しようと考えた。
日本列島の地図の沿岸部すべてに色がついていて、
津波の心配があるのだろうと思った。
モニターは遠くて、細かなところまではわからなかった。
アポイントをしていた取引先に電話しようにも繋がらない。
あちこちにかけてみたが、どこにも繋がらない。
新宿駅西口でどうしょうかと思案に暮れていた。
とにかく揺れが続き、まともに歩いていられない、立っていられない。
タクシーに乗って行こうかとも考えたが、車を待つ客の列が異常に長い。
とても出ないが、待ってられないなと思った。
1時間位して、これだけたいへんなことになっているのだから
仕事にはならんだろうと結論づけた。
そして、ホテルに引き返そうと決めた。
昼食を取っていなくて、腹が減っていたことを思い出した。
牛丼屋で牛丼を食べたいと思った。
店は閉店の看板を下ろしているところが多かったが、
中に開けているところがあって、
そこで牛丼を食べた。
西新宿のビジネスホテルに引き返すと
エレベータが止まっていて使えなかった。
仕方なく、ロビーで待つ。
ロビーのインターネットの回線を自分のパソコンに繋いで
SKYPEを立ち上げた。
それで、ベトナムの家族や会社のスタッフに連絡がとれた。
実家からも電話をもらっていたようなのだが、繋がらない。
心配する実家の母には、SKYPEを使ってベトナムにいる妻経由で
無事だということを伝えた。
しばらくすると、帰宅難民となった人たちでロビーは埋め尽くされた。
20時頃、ぼくは自分の部屋に戻ろうと、エレベータに乗った。
そのころには、エレベータは回復していた。
部屋にいても、引き続き、揺れが続いている。
大きな揺れが来て、ビルが崩壊したら、
おれは独りで瓦礫の中で死んでいくのだろうなあと考えていた。
揺れが来るたびに、ビクビクしていた。
SKYPEでの交信はホテルの部屋で続けた。
深夜になって、
翌日、面接することになっていた
女性からSKYPEに連絡が入った。
都内で被災して、家に帰れず、
友達の友達(面識のない赤の他人)の家に
身を寄せさせてもらっていた。
SKYPEで話し合って、
翌日の面談は、翌日になってから決めようということにした。
恐怖に震えながら、その夜、床の中で独り、眠りに落ちた。

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3年前の3月11日の午後、ぼくは東京にいた。①

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3年前の今日3月11日の午後、ぼくは東京にいた。

4月からベトナムで働いてもらうことになっていた
日本人スタッフの最終面接のため、
この時期に合わせて日本出張を組んでいた。
いつものごとく、ベトナム-福岡便で週末に実家に戻り、
月曜日から東の方面へ客先を回りながら、
最終目的地の東京を目指した。
3月11日の朝は大阪で迎えた。
そこから、静岡へ。
中国からベトナムへ下着の生産シフトを考えている
メーカーから相談を受け、話を伺いに行った。
午前中、静岡での仕事を終え、11時過ぎの新幹線に乗って
ちょうど金曜日の昼頃、東京に着いた。
東京では、当の新人スタッフの面接を翌日の土曜日に組んであるほかは、
金曜日に取引先2件に挨拶がてら伺うだけの予定だった。
だが、ちょうどその頃、大阪の取引先と
ベトナムでの生産スペース確保のための
工場との契約手続きを進行中で、
その内容につき、手直しを急ぐとのことで
東京に着いてから、その作業に時間を取られた。
銀行に行って、それから客先にも行くアポイントがあった。
だが、結果的にはこれが幸いした。
作業でやっとのことで終え、新宿のホテルを出て、
西口の取引銀行に向かったのは2時半を過ぎたころ。
アポイントは遅れていた。
新宿西口の銀行の建物に入ろうとした瞬間、
只ならぬどよめきとともに、自分の身体が宙に浮いて、
ふっとばされそうな感覚に襲われた。
一瞬、何が起こったのかわからない。
空を仰ぎ見ると、頑丈なはずの高層ビルの群れが、
鉛筆の端っこ摘んで、くゆらせたかのように、揺れている。
立っているのがやっとだった。
この眼の前のビルが折れたらどうしよう?
逃れられないな。
それなら、外に逃げるのではなくて、
この銀行の建物の中に入ってしまったほうが安全だろう、
ビルごと崩壊するなら、どちらにせよ生き延びる道はない。
あの瞬間、概ね、そんなことを考えていた。
初めて体験する規模の地震だった。
最初の大きな振動が若干収まってからも
振動の波は寄せ続ける。
それから、少しして、
これはどうやら大きな地震なのだということをやっと感じ取った。

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