2018年 1月 の投稿一覧

思わず唸る旨さ!蒸し焼き料理専門レストランChang Kang Kung

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昨夜は友人とイオンモールで会って食事した。

イオンモール・タンフー店の2階の飲食街を歩いていると、蒸し焼き料理専門の店があったので、そこに入ってみようということになった。

 

蒸し焼き専門レストランChang Kang Kung

入る前はわからなかったが、よく見るとどうやら韓国レストランらしい。

韓国料理と言えば、まずは焼肉が思いつくものだが、この店は蒸し焼き専門である。

友人と2人だったので、奥の2人席に通された。奥の席とはいっても、間仕切りもなく外のモール内を歩く人たちからは丸見えだ。だが、そんなことは気にしない。

各テーブルには、専用の蒸し焼き器が設置されている。

注文は専用用紙に自分で書き込むようになっている。

 

海鮮メニュー中心の蒸し焼き料理

このレストランのメニューは肉や野菜もあるが、中心は海鮮だ。

他に点心類もある。

同行の友人と話し合い、うちわエビとムール貝と野菜のセットを注文することにした。

うちわエビとかムール貝とか他でもないではないが、ちょっと珍しいラインナップだ。

これ以外に、おかゆが無料でついてくる。2人ならこれで十分だろう。

テーブルに備え付けの蒸し焼き器は、2階建て構造になっていて、「地上」部分で蒸し焼きをし、「地下」の鍋でおかゆを作れるようになっているらしい。上の具材を蒸した際に出る汁は下のおかゆ鍋に落ちる仕組みだ。

飲物が出され、具材が運ばれてきた。

調理は目の前でウェーターがすべてやってくれた。

 

まずは、ムール貝

ベトナムにも、ムール貝系はいろいろ種類あるが、ここではイガイ(Vẹ)を注文してみた。

ムール貝

貝の殻をほんとにきれいに洗ってあって、ローカルレストランとは一味違うと感心する。これなら、安心できるし、海外からのお客さんをお連れするにもいい。

 

次に、野菜のセット。レタスとオクラとズッキーニとエノキのセットを選んだが、他にもいろいろセットの種類はある。

単に蒸し焼きしただけだが、野菜本来の美味しさを味わえて、思わず「旨い!」と唸った。

 

最後に、メインのうちわエビ(tôm mũi ni)。

このエビは日本でも西日本を中心にあるらしいが、私自身は日本で食べた記憶がない。(実は、子供のころ、エビ・カニがまったくダメな子だったというのもあるかもしれない)

エビの姿を、日本語では【内輪】に見立てているが、英語では【スリッパー】で、ベトナム語では【尼僧の頭巾(mũi ni)】らしい。いずれも、なるほどと思わせる素敵な比喩だ。

この海産物を、つい先日、フーコック島でチーズ焼きで食べたが、シンプルな蒸し焼きも旨い。

うちわエビは伊勢海老と比較されるくらいの旨い素材なのだ。

 

ベトナム人をターゲットにした店づくり

蒸し料理、蒸し焼き料理というのはベトナム人の好む調理方法だ。

炒めたり、揚げたりという油を使った調理をベトナム人は非常に気にする。

野菜など蒸したり、茹でたりという油を使わない調理方法が非常に好まれる。

さらには、円卓も大勢で集まって食べるベトナム人客には受けがいいはずだ。我々のすぐそばに円卓が並べられていたが、大勢で楽しそうに和気藹々やっていた。

 

VATインボイスは電子メールで送付

食べ終わって勘定の際、勘定明細の下にVATインボイス受け取り用の用紙がついていた。

会社の経費で落とす場合に、用紙に必要事項を記入するようになっている。

見ると、電子インボイスでメールで送付してくれるとある。

地元のレストランだと、受け取りまでにやたらと時間がかかったりして面倒なのでもらわないこともある。ここは記入しておけば後からメールで送ってくれるようなので用紙に記入してみた。

生憎、名刺を持ち合わせていなくて、VATコードがわからない。

もたついていると、ウェーターが気を利かせて、会社名と住所から調べてくれた。

必要事項の確認用紙を持ってきてくれ、目を通して、OKを出すだけだった。

実にスマートで気持ちのいい会計だ。

食べものが美味しくても、会計の時にもたついてイライラさせる店が少なくないが、ここは最後まで気持ちよかった。

店を出て、しばらく歩いていると、携帯に何かメッセージが入ったようで見てみると、レストランからのインボイスがメールで入っていた。

 

まとめ

Chang Kang Kungは海鮮中心の蒸し焼き料理専門韓国レストラン。

蒸し焼き料理の美味しさを実感させてくれた。

ベトナム人をターゲットにしているようで、地元民の客の入りはよかった。

食べものも実に清潔だし、領収証もスムーズに出てくるし、会社の接待でも使いやすい。

 

Chang Kang Kung

Unit F-37, 1F, Aeon Tan Phu Celadon

30 Bo Bao Tan Thang, Distr. Tan Phu

phone: 028-6264-7427

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メコンデルタの旅–カントーで泊まった4つ星ホテル

Holiday One Hotelからの眺め
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最近、旅に出るときに宿泊先はAIRBNBを使って予約することが多いが、田舎だとそもそも登録されている物件がなかったり少なくて意に沿う選択肢がなかったりする。

カントーも田舎町なので、ホテル予約サイトを使って宿泊先をとることにした。

 

お得な4つ星ホテルを予約する

ベトナムでホテルを予約する際には通常AGODAを使っている。

このサイトは東南アジアに強いとか。

Holiday One Hotelという4つ星ホテルがプロモーションしているというのでそれを取ってみた。

 

落ち着いた感じの簡素な客室

ホリデイワンホテルの客室

落ち着いたたたずまいの静かな部屋だったが、作りは極めて簡素。

これでも4つ星かとは思う。まあ、いい。

道中がドタバタ劇だったので、ホッと一息つけた。

ホリデイワンホテルの客室廊下にカーペットが敷いて会って静かでいいのだが

 

エレベータの謎

階下に降りようとエレベータに乗る。

BとLのボタンが並んでいたので、Lを押した。

エレベータが止まって、ドアが開くとどうやら中2階のレストランフロアの模様。

1を押してみ、着いたのは客室フロアだった。

はて、困った。

どうしたものか?

何気にふと振り返るとそこには…

こんなボタンの配列初めてだ。

 

ホテルの前に大きな水たまりが

ホリデイワンホテルの入口

一息ついた後で、出かけることにした。階下に降りる。

エントランスを外に出ると、ホテルの前に水が溜まって道に出られない。

やむなく舗道を沿っていった。

戻ってくるときも水が溜まっていると嫌だなあと思ったが、戻った時には水はきれいに退いていた。

だが、このときはまだたいしたことはなかったのだ。

 

翌日、水上マーケット(Floating Market)を見学しに出かけた。

見学終えて戻った時に真の姿を見た。

 ホリデイワンホテル前の洪水

水上マーケット(Floating Market)を見学して戻ってみたら、ホテルも水上ホテル(Floating Hotel)になっていたという笑い話。あまり笑えないが。

あとでこのホテルの画像を探そうとホテル名を検索してみると、多くの人がこの洪水状態をアップロードしていた。

 

とんでもない4つ星ホテルだった。

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メコンデルタの旅–初日カントーへ

異常事態発生
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1月3日、朝のバスで旅に出るとするのだが。

 

「ベトナム・クオリティー」のバス会社の対応

現れた巨体の男

カバ

トラブル事態発生

車の故障

いすゞ

カントー中央バスターミナル

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メコンデルタの旅–準備編

メコンデルタ
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 休みは取れるうちに取れるだけ 取っておきたい。そういう意味では日本の正月休みはチャンスだ。

ベトナムは基本的に新暦の正月は休まないが、日本側が休んでいるので、メールや電話も来ないし、ちょっとのんびりしている。

暦の具合を見て、今週いっぱい休むことにした。

 

目的地はフーコック島だが

休んで、どこに行くかと言えば、今や私の休暇先の定番フーコック(Phu Quoc)島なのだが、今回はちょっと趣向を変えて、飛行機を使わず、船で島に渡ることにした。

いつもは飛行機で飛んで、わずか1時間で着いてしまう。

毎回同じだと飽きてくるので、ちょっと行き方を変えてみることにした。

ホーチミン市からメコンデルタを西にラクザー(Rach Gia)という町まで行き、そこから船でフーコック島に渡るというわけだ。

ホーチミン市からラクザーまではバスで6時間くらいかかる。

バスに6時間も閉じ込められるのはゴメンなので、途中カントー(Can Tho)に1泊することにした。

カントーはメコンデルタ最大の都市で、ベトナムの五大中央直轄都市の一つでもある。

こうすれば、バスの乗車時間が2回に分けられ、それぞれちょうど3-3.5時間ほどとなる。

 

ホーチミン市-カントー間の移動手段は…

ホーチミン市-カントー間はベトナム南部の大動脈の一部にあたるので、多くの車が走っている。

途中には、ティンザン(Tien Giang/前江)とハウザン(Hau Giang/後江)というメコン川の2つの大きな支流が横たわっていて、かつては渡し船で渡るしかなかったのだが、今ではミートゥアン(My Thuan)橋とカントー大橋の2本の大きな橋が架かっており、直接カントーまで行けるようになった。

それにつれて、かかる移動時間も大幅に短縮されて、ホーチミン市からカントーまでは3時間半くらいで行けるようになった。

 

VIP向けの高級リムジンバス

この区間には数多くのバスサービスがあるのだが、今回調べてみると、Son Nguyen LimousineというVIP向けの少人数のリムジンバスで結ぶ便があったので、使ってみることにした。

会社のウェブサイトを見ると、マッサージ機の座席を擁した高級車両の触れ込みがある。

このバスは、他のバスのように、ホーチミン市外れの西部バスターミナル発ではなく、市内10区から出発するということである。到着地もカントー市内の中心なら、目的地まで送ってくれるという点も魅力的だった。

バスの料金は座席の種類によって18万ドンあるいは16万ドンだが、ホーチミン市の10区とバスターミナル間およびカントー市のバスターミナルと目的地の移動を考えると、ターミナル同士を繋ぐ大手Phuong Trang社のバス料金11万ドンと結局変わらないか、あるいは、こちらのほうが安くつく。そのうえ、時間もきっと短縮できるだろう。

紹介ページにはいろいろいいことが書かれてあったが、ベトナムの会社のサイトなので、まともに信じてはいけない。

料金が変わらないくらいで、時間が短縮でき、便利であればいい、あとは期待しないでおこうと思った。

でも、試しに、ウェブサイトにあるお問合せフォームを使ってみた。

 

ベトナムの会社のウェブサイトのお問合せフォームには返事は来ない

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なぜベトナムなの?

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ベトナムに住んでいると言うと、なぜベトナムなのかと訊かれることがある。

仮に海外在住という括りなら、アメリカやヨーロッパや中国やら選択肢はいろいろある。

東南アジアに限ってみても、シンガポールやタイやマレーシアだってあるだろうにということだろう。

最近でこそ、日本からベトナムに来る旅行者も増え、日本に住むベトナム人も急増して、ベトナムは遠い国ではなくなってきたが、私が住みだした20年以上前のベトナムは日本人には馴染みの薄い珍しい国だったのだ。

「なぜベトナムなの?」という問いの中には、海外の国なら他に馴染みのある国々がたくさんあるのに、わざわざそんな変わった国に行くの?という疑問が潜んでいるのだろう。

ダイヤモンド社が1979年から出版している旅行ガイドブック「地球の歩き方」には、私が初めてベトナムに訪れた1993年当時「フロンティア編」というのがあって、西アフリカやブータンなど、ちょっとやそっとで行けない秘境地域を集めたシリーズがあったのだが、ベトナムはそのシリーズの中にはいっていた。

当時のベトナムはそれくらい未知の国だった。

にもかかわらず、私の身近にはベトナムに関わった人が3人もいて、それが私をこの国に誘うきっかけをあたえてくれたのだった。

その3人がいずれも不思議な魅力を持った人たちで、彼らに導かれるように私はベトナムに訪問することになったのだった。

学習塾のM塾長が語り聞かせてくれたベトナム戦争中のサイゴンのこと

13回ウルトラクイズに出場した1989年当時、私は東京江東区亀戸の学習塾に講師として勤めていた。

番組の中でも私は塾講師として紹介されている。そこの社長がM塾長である。

この塾長は、ウルトラクイズのことを知らず、私の休暇申請に渋い顔をしながらも、最終的には認めてくれた方である。

ウルトラクイズの旅から戻り、番組の放送が始まると、テレビで私を見た生徒や父兄が騒ぎ出し、ようやくこの時私が出た番組の影響力の大きさに気付くのだった。

塾長は学習塾のいい宣伝になったことを喜んでくれ、以後、私はテレビ番組出演のための休暇申請がしやすくなった。

M塾長はこの学習塾を立ち上げるはるか以前、ベトナム戦争当時のサイゴンに商船関係の仕事で駐在されていたか、出張で頻繁に行かれていたようだった。

事あるごとに、昔のサイゴンの華やかなりし時代を語ってくれた。

マジェスティックホテルに泊まって、朝、階下のレストランで炒飯を食った話、シクロに乗って出歩いた話などを何度となく聞かされた。

昔のベトナムの現地の生の体験を語ってくれた唯一の人物だった。

楽しかった懐かしい体験を語る姿が印象的だった。彼の笑顔がきっと最初の引鉄だったのだ。

師事した翻訳家長島良三氏はC・ドヌーブ主演映画「インドシナ」の原作小説訳者

大学を卒業して、フランス語の翻訳家を目指していた私は、東京に出てくると、働きながら、フランス語翻訳学校に通い勉強した。その学校の講師を務めていたのが、プロのフランス語翻訳家として活躍されていた故長島良三先生だった。

長島先生は、翻訳物の出版で知られる早川書房で「ミステリマガジン」の編集長などをされた後、退職され、翻訳家として活躍されていた。

映画で一世を風靡した「エマニュエル夫人」の原作や「メグレ警視シリーズ」という警察小説などの翻訳で名を知られていた。

東京にいた5年間、私はずっとこの先生のもとで勉強し、その間、4冊ほど下訳を任せていただいた。4冊の小説は先生の名前のもとに無事出版された。だが、日本を離れることになり、結局、フランス語の翻訳家への道は断念する。

私が東京に住んでいたころ、フランスでは、かつて植民地としていた仏領インドシナ時代を懐古するインドシナブームが起こっていた。

1984年にフランスの女流小説家マルグリット・デュラスが書いた自伝的小説「愛人/ラマン」はゴンクール賞を受賞し、世界的ベストセラーとなっていた。

この小説は1992年にジャン=ジャック・アノー監督により、主演ジェーン・マーチ、レオン・カーフェイらのキャストらで映画化され、大ヒットした。

ちょうど同じころ、やはり植民地時代のインドシナ南部を舞台にしたカトリーヌ・ドヌーブ主演の映画「インドシナ」も好評を博した。

原作は小説家クリスチャン・ド・モンテラによるもので、長島先生がこの本を翻訳された。

ベトナム戦争以後で、一般の人がベトナムに関心を持ったとしたら、おそらく多くの人がこの2つの映画に感化されたのではないだろうか?

それでも、この2つの映画がテーマにしたのはフランス植民地時代のベトナムであって、リアルタイムのそれではなかったのだ。

翻訳出版社の上司さんは、解禁直後のベトナムを旅し、生の実情を伝えてくれた

英会話学校で有名なベルリッツには翻訳の部門があって、私はその翻訳部門に編集担当として勤めていた。ベルリッツの知名度を活かして、企業向けのビジネス翻訳を扱う部門だった。

でも、私が興味のあるのは出版だったので、この翻訳部門から出版部門が分離・独立するという話が出てきたとき、すぐさま、それに飛びついてしまった。

飛びついてしまったという書き方をしたのは、結果的にこれが職を失うきっかけになったからだ。

独立後、ほどなく当時の福武書店(今のベネッセ)がベルリッツの日本法人を買収してしまった。

福武書店自身は、その名の通り出版社でもあったので、知名度のあるベルリッツの英会話学校さえ手に入れば、出版部門は不要だった。それで、買収後、出版部門は閉鎖されることになった。19937月末で私は職を失った。

じつは、この出版部門を立ち上げたのが、翻訳部門の上司だったYさんで、この人はちょっと風変わりなおじさんだった。

当時はバックパッカーという言葉もなかったが、手提げかばん一つで世界中どこでもひょいひょいと旅するような人だった。いまごろどこで何をしているのだろう?

ここに掲載した「海外旅行会話ブック」シリーズは私が当時編集に携わったもの。

このYさん、1992年ごろ、当時はまだ自由にベトナム国内を旅行できる時代のベトナムを旅行して、体験を語ってくれたのだった。

旅して、体験を語るだけのことがどうしたと思われる方もいるだろう。

これがどれだけ貴重なのかを知るには、当時の状況を理解しないとわかりはしない。

今と当時ではまったく状況がちがうのだ。

当時はベトナムを旅行したい人はベトナム・ツーリズムという唯一の国営旅行会社を通して、旅行を申請し、ベトナム到着後もガイドという名の監視役を同行しないと国内移動が許されない時代だった。

19934月になって、この制度がなくなると、これを「自由旅行解禁」と呼んだ。

日本とベトナムの関係はベトナム戦争後、ベトナムがカンボジアに介入をはじめると、経済制裁を課し、交流はまったくなくなっていた。1980年代のベトナムは日本からすれば、いわば鎖国している国だった。1980年代末になって、ドイモイ政策という改革が始まり、カンボジアに駐留していた軍を引き上げるようになって、ようやく国交が正常化されていく。

1990年代はじめに商社などが駐在員事務所を置くまでは、ベトナムには日本の民間人はほとんど皆無だった。

ベトナム側もそのころ初めて、東西冷戦時代の西側諸国を受け入れだしたばかりなので、外国人の動きには常に監視を付けていた。当時の商社の駐在員らにはスパイの嫌疑がかけられ、日ごろから皆、尾行がついていた。

外国人と接する人たちは、数少ない外資企業に勤める人たちと旅行会社のスタッフくらいのもので、日常で外国人と接触する人はいなかった。へたに接触しようものなら、その人たちまであらぬ嫌疑をかけられる恐れがあるからだ。市場の物売りですら英語ができる者の人数はごく限られていた。

今なら北朝鮮を旅行することを想像してもらえばいいのではないだろうか。

私の当時の上司のYさんはそういう国の旅行体験を語ってくれたのだった。

まとめ

日本にとって、ベトナムがまったく未知の国であった1990年代初め、私はたまたま身の回りにいた別々の3人の人物を通じて、ベトナムと接触を持つことになった。

学習塾の塾長M社長はベトナム戦争時代のサイゴンの思い出話を語り聞かせてくれ、

フランス語の翻訳家長島良三先生に師事したことで、小説や映画を通して植民地時代のインドシナ南部に触れる機会を得た。

勤めていた翻訳事務所の職場の上司Yさんは、果敢にもベトナム旅行し、当時の生の状況を教えてもらっていた。

シンガポールに移住した私が最初の休暇中の旅行先としてベトナムを選んだのにはこうした背景があったのだ。

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新年

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あけましておめでとうございます

 

2018年の正月はサイゴンの中心で迎えた。

 

街中バイクの波で動けないし、車もバイタクも捕まえようがなくて、結局、歩いて家まで帰ったよ。

ツイートに「いいね」がたくさんついている。 皆さん、ほんとにありがとう。

中には、こういう人もいるのでちょっと説明しておこう。

時は1989年9月27日。第13回アメリカ横断ウルトラクイズの準決勝ボルティモアでのこと。

もう30年近く前のことなのに、一言つぶやくだけで皆さんが思い出してくれる。

 




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