1980年代のクイズ界に彗星の如く現れたプリンス–相原一善

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相原一善
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年末のクイズの祭典「Man of the Year Senior」の開催まで残り3週間を切った。

出場する人しない人、いろいろだが、かつてのクイズ仲間の思い出を綴ってみたい。

「クイズ仲間ああ言えば交遊録」と題して、マンオブ開催まで毎日とは言わないが、2日に1回位書いていきたい。

さて、この「クイズ仲間ああ言えば交遊録」のトップバッターは相原一善だ。

相原について、ひょっとして一般の方々はご存じないかもしれないが、今回のマンオブシニアでは大会実行委員長を務めている。

なぜ彼が僕のクイズ仲間の交遊録のトップに来るかといえば、いまだに付き合いのある同世代のクイズ仲間のうちでも、もっとも長い付き合いだからだ。

彼は僕よりも1つ歳上で、高校2年のときにクイズ・アタック25の一般大会に出場、周りの大人たちを破って優勝したのだ。当時、高校生や中学生がこうした番組出る機会といえば、夏休み高校生大会とか中学生大会だったので、番組を見ていて、一般の大人に混じって出られるなんて思いもよらなかった。しかも、彼はそこで優勝してしまったのだ。クイズに志していた当時の秋利少年にとっては、彼は突然現れたシンデレラ・ボーイだった。

相原一善

高校時代に相原に送った手紙–今も保管してあるという。ラブレターでなくて良かった(笑)

それで、この番組を見て、きっとこの相原くんも自分と同じようなクイズマニアにちがいないと勝手に思い込み、テレビ局経由で彼に手紙を出してみた。すると、彼からも手紙が返ってきて、それ以来ずっと大学も違えど、クイズ仲間と言うわけである。

彼と直接顔を合わせるのは大学時代で、東京の早稲田や慶応の学祭などに出かけたり、ホノルルクラブの会合に参加したりの際だ。ホノルルクラブの合宿の際にめったに会えない学生仲間同士で交流戦を行なったりしたのは懐かしい思い出だ。

大学2年から3年に上がる春休みには、日刊スポーツ主催でトリビアル・パスートというクイズのボードゲームの大会が東京で開催されたのだが、その際は彼と組んで出場、見事、準優勝を勝ち獲った。大学の違う異色のペアだった。

僕が大学3年のときに準優勝した1986年のマンオブでは、日本クイズ学生連盟の会長を西村顕治が務め、相原はその下で実務の中枢を担っていた。そして、翌年には彼は連盟(通称:学連)の会長を務める。先に掲げた写真はその当時のものだ。

相原一善

大学時代、彼が名古屋に来て、遊びに行った遊園地のチケットだ。いわくつきのもので、いまだ残っていたそうな。でも、まさかこれまでこのブログにのっけられるとは、思ってなかったろうな。ご本人はドッキリだけど、見ている人には何のことだかわからないから、まあいいだろう。

ウルトラクイズの際はだいだい彼と一緒に行動していた。

まず、第1問めに関しては、まだあたりの暗い早朝から彼やホノルルクラブ会長の村田さんと連絡をとり、毎年正解の情報を入手していたものだ。

第13回のときには、彼は就職活動中ということで、たとえ勝っても出られないことがわかっていた。それで、100名が決定する直前に周囲の多くの人を引き連れて自爆してくれた。ナイスアシストだった。感謝、感謝。

でも、彼自身は、アタックの優勝以降は、ぱっとせず、クイズの歴史においては、彗星のように現れて、彗星のように消え去ってしまった。

ちなみに、ちょっと個人情報を垂れ流しておくと、相原の誕生日は1964年7月29日でちょうど長戸勇人の誕生日の1年前にあたる。同じような関係が僕と西村顕治で僕の誕生日1966年2月11日の1年前が西村の誕生日というわけである。それがどうしたと言われれば、それまでのことでしかないが。

今回のマンオブシニアの開催においては、一緒になって大会開催まで頑張ってきた。あと一息というところだ。

昔からの仲間とともに一つの目標に向かって頑張るというのも悪くない。

今後も是非仲良くしていきたい貴重な友人だ。

 

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コメント

  1. aihara より:

    お、おい変なもん載せるんじゃない!
    秋利から、初めて手紙が届いたのが、18の時だから、かれこれ30年の付き合いだよ。
    出場者へ手紙を送る方法は、あの当時のクイズ少年のバイブル北川宣浩氏の名著「テレビクイズ大研究」に載っていた。
    届いた瞬間ピンときたよ。
    その後「文通」が続き、秋利が名大に入学した時、俺が名大を落ちたのも今となってはいい思い出・・・・のわけないじゃん。
    心底落ち込んだ。そしてその年、秋利はウルトラクイズの予選を颯爽と通過。その話を聞いてまたまた落ち込んだ。

    13回のウルトラの東京ドームはいい思い出だよ。
    それから私は12回の予選はちゃんと通っている。テレビにも写っていたよ。
    12回の時が大学4年で就職活動中。就職試験と重なり行けなかったのだ。
    大学の友人は「当然」という感じだったけど、クイズ関係の友人からは「オマエ、クイズと就職どっちが大事だ?」と異口同音に言われた。
    一方、村田さんからは「アンタ行っちゃダメよ」と釘を刺された。
    13回の話はご承知の通り。私のクイズ運にはウルトラクイズは入ってないなと悟った次第

    1. AkitoshiMikio より:

      マズいもの載せちゃったかな。うちのサークルの女の子を追いかけて、わざわざ名古屋まで来た時の遊園地のチケットだなんて書かなきゃ誰もわからんからいいだろう思って。
      あの迷路、デートにはちょうど良かったよな。「ずっとこのまま迷宮の中のままでもいいやあって思ってたよ」って言ってた相原の姿が今でも目に浮かぶよ。

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