この26年前を振り返る日記はツイッター上でのウルトラクイズファンの方々や同じ第13回ウルトラクイズでグアムの泥の餌食となった泥カバさんとの会話の中から生まれたものだった。
@hippomud 26年前の兄さん、おかえりなさいませ。 1泊2日でも、泥に塗れたという戦歴が、輝かしく見えます。 兄さんのつぶやきのおかげで、今日は心が激しく潤いました。 そうか、26年前はこうだったのか・・と知れる喜び。ありがとうございました! — akamaru (@akamaruhappy) 2015, 9月 3
@hippomud @akamaruhappy 26年前日記かね。面白そうね。やってみるか。 — 秋利美記雄 (@saigon1995) 2015, 9月 4
26年前に第13回ウルトラクイズに出場した際に、毎日起こる出来事を簡単なメモ風に残しておいた記録が元になっている。
B5のノートに書き綴れられた文字は当時旅の中で、年齢が今の半分も満たない若造の自分が記したものであり、それを久しぶりにじっくりと読み返す作業は実に懐かしく楽しかった。
このブログでは9月4日から9月27日まで書き続けたが、実際の日記は9月1日に上京し、日テレに集合するところから始まっている。 日記の終わりは9月27日になっているが、この日LAで1泊したあとで、翌日のフライトで成田に戻った。パスポートには9月29日帰国のスタンプが押されていた。まさしく1989年の9月はまるまるウルトラクイズの旅で埋め尽くされた。
あれから26年という歳月が流れたのだ!
僕自身は、昨年2014年のベトナムの旧正月休みの際に日本に帰国し、Quiz Japanの取材を受け、久しぶりにボルティモアの4人で集まって、酒を飲み交わし、ファミ劇のウルトラクイズ再放送を取り仕切っていた大学時代の同級生とも会い、ウルトラクイズの再放送のための特番収録があって、…と、この2年間のうちにあの第13回ウルトラクイズを振り返る機会が相次いだ。
一方で、ツイッター上では当時のことを今でも昨日のことのように憶えてくれていて、今なお関心を持ってくれている方々がたくさんいる。あのボルティモアの激闘から20年以上経ってもウルトラクイズを楽しみたいという人たちの声が聞こえてくる。
たまたまウルトラクイズで勝ち進んで、ボルティモアの準決勝まで進んだ経験は、僕一人だけの経験として仕舞っておくべきものでもないだろうと思った。
自分の当時の思いを綴った日記を公開するのは、正直なところ、かなり気恥ずかしいものだが、当時、僕を応援してくれて、ひょっとして、今もまだ興味を持ってくれている人たちがいるなら、話の種を提供するくらいお安い御用だというのが偽らざる心境だ。そして、一緒に回想し、語り合い、楽しもうではないか!
当時の書き殴った文章は、あくまで自分自身のためのメモであり、文脈が不明確だったり、言葉足らずだったりして、今の僕自身ですら読みづらいので、それを補足する意味でずいぶん書き加えたが、文章のベースは当時体験した僕自身の心象風景にある。 とくに、最終日の9月27日の記事は、結果的に、ほとんど当時書いたもの、そのままを書き起こすスタイルとなった。たかがクイズごときに大仰な言葉遣いをしている部分など、今読み返すと顔から火が噴き出しそうだが、当時は真剣だったに違いない。笑って読み飛ばしてほしい。
同時に、これらの記事を書きながら、当時の記憶を辿っていくと、また自分をクイズの世界に飛び込ませたくなってくる。
折しも、今年の年末には、長戸が言い出しっぺで企画したクイズ大会「マンオブ・シニア」&パーティーが東京で開催される。これには僕も発起人として名前を連ねているし、大会にも出場者として参加する。同窓会がてら、クイズの企画に、パーティーに時間のある方は是非ご参加いただきたい。
当時の思い出話を肴に語り合おうではないか!
<リツイート希望>ファン皆様、お待たせ致しました。ショットオーバーの「帰れTシャツ」のデザイン募集のお知らせです。 多くのデザイナーの方に参加いただけるようリツイートのご協力お願い致します。 http://t.co/9x5jrwTspr — 秋利美記雄 (@saigon1995) 2015, 9月 25
最近のコメント