クイズ

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「帰れTシャツ」発売のお知らせ

ショットオーバー 帰れTシャツ
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たいへん長らくお待たせいたしました。

いよいよ「帰れTシャツ」を以下の通りで発売いたします。

販売サイト:AMAZON

発売開始:12月21日{予定}

発売価格:2700円(税込・送料別)

ショットオーバー_帰れTシャツ

寸法表

  XS S M L XL
着丈 57 63 68 72 75
身巾 42 47 52 55 60
肩幅 38 42 46 50 55
袖丈 15 18 21 22 23
身長 155~165 160~170 165~175 170~180 175~185

 

AMAZONでの発売開始に先立って、Quiz Japanで先行発売することになりました。

これは12月26日のマンオブシニアの会場にて受け渡しいたしますので、当日、会場に来られる方のみの販売となります。

先行販売はクイズ・ジャパンのサイトにて。

 

皆様、宜しくお願い致します。

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3択問題を毎週100問作成!名大の誇った問題製造マシン–仲野隆也

仲野隆也
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交遊録の先鋒が相原なら、次鋒は仲野隆也だ。

相原は現在マンオブシニアの準備の関係で近頃は頻繁に連絡をとっているので、
昨日出したブログ記事にすぐに反応して連絡をくれたが、(だから、あんまり下手なことも書けなかったんだけど^^;)
仲野は最近メールしても、なかなか返事も返ってこないし、このブログも読んでないだろうから、気兼ねなく思ったことが書ける。(^^)

仲野隆也は、生まれは同学年だが、一浪して大学に入ってきたので、以来、ずっと後輩扱いだ。
本人はそれをちょっと不満に思っていたようで、先日のQuiz Japan主催の東京でのトークライブの際にブツクサ言っていた。

仲野隆也

名大クイズ研30周年パーティーで挨拶する仲野隆也

仲野のクイズデビューも相原同様高校時代で、クイズタイムショックの高校生大会で9問正解して優勝。
このときには、今や押しも押されぬクイズの女王・石野まゆみも出場していて、彼女は8問正解で仲野に敗れている。

高校時代にテレビ出場したことから、大学のクイズ研以前から僕の方は知っていて、名大にクイズ研究会を作った時も、ひょっとして彼がサークルに入ってこないかなという期待はあった。
そして、期待通り、クイズ研究会設立後の1985年4月の会員募集時に見事彼はやってきた。
各サークルが新入生を勧誘する「地獄の細道」というサークル紹介のイベント中、「ああ、あった、あった、ここだ」とかなんとか言いながら、クイズ研にやってきたのだった。

1984年12月にできたばかりの名古屋大学クイズ研究会に仲野が加入したことで、我々のサークルが大きく飛躍する基礎ができたということは紛れもない事実だ。この後、名大クイズ研は設立時に参加した大石禎(第15回ウルトラ・第10CPドミニカ敗退)と、呼び掛け人の僕、さらに仲野の同い年生まれ3人が中心になって活動していった。

仲野は家が三重の県庁・津にあって、毎日、電車で2時間以上かけて、自宅から大学まで通っていた。
電車の中で暇な時間は腐るほどあるということで、その時間をクイズの問題づくりに充てていた。

そういう中で生まれたのが、毎週クイズの例会で行われた3択100問ペーパークイズだった。

これはウルトラクイズの成田からグアム(あるいはサイパン)に向かう飛行機の中で行われたクイズと同じ形式で、
100問のマークシート方式の3択クイズを8分、つまり1問あたり4.8秒という短時間で解くというものだった。

本番のウルトラクイズでは200問ずつ2回の合計400問で行われたが、仲野は毎週その3択を100問用意し、僕らはそれにほとんど毎週挑戦した。
問題作成をしたことのある人ならわかると思うが、問題というのはそんなにポンポン浮かんでくるものではない。
それを、学生時代を通じて、ほとんど毎週のように100問の3択ペーパークイズを作って、皆を楽しませ、実力を鍛えていた彼には、今思うと本当に頭がさがる思いだ。
今更だが、この場を借りて感謝の意を表したい。(たぶん本人は読んでないだろうが^^;)

年末に東京で開かれていた学生日本一決定戦でもこの形式で予選を行うのが恒例となっており、日頃から仲野が作り出す3択で鍛えられていた我々名大勢は圧倒的な強さを見せつけ、「3択の名大」の名前で一躍知られるようになった。
仲野と僕が出場していたころの1986年から1988年までの3年間は、予選の1位と2位に与えられるシード権を僕と仲野の2人でほぼ独占していた。

とりわけ、1986年のマンオブは予選1位秋利、2位仲野で、決勝で仲野が優勝、僕が準優勝と名大クイズ研の台頭を轟かせる大会となった。
僕自身はこの3年間はすべてシード権獲得、うち86年と88年は1位だった。それもこれも仲野の3択問題のおかげである。

彼の作った毎週の3択クイズの問題集は、その後、立命館など他大学のサークルの人も欲しがり、コピーが出回るようになった。今ならオープン大会の問題集がふつうに出回るようだが、当時はそういうことは珍しく、言ってみれば、彼の3択問題集はそうしたクイズ問題集の走りだったと言えるかもしれない。

プレーヤーとしての彼の足跡は、先に上げた高校時代のクイズ・タイムショックの優勝やマンオブの優勝以外に、これに先立つ1985年のトリビアルパスート日本選手権で、同じサークルの同級生・松岡と出場し、僕と相原のペアを抑えて優勝している。

1989年の第13回ウルトラクイズでも彼の活躍で、僕や長戸など、名大・立命館組が大量予選合格する原動力となっていた。だが、この大会では当の本人は成田のジャンケンで負けてしまい、これ以降、日本一決定戦ものの番組もそこそこのところまでは行くのだが、パッとした戦績は残せていない。

これまで振り返ってみてきたように、彼はプレーヤーとしてももちろん有能だったが、それ以上に問題制作者、企画者として優れていた。

東京のホノルルクラブや関西クイズ愛好会のような社会人クイズサークルを中京地区に作ろうと稲川良夫氏(第11回ウルトラクイズ優勝者)と企画したとき、僕が企画担当者として有能な仲野をサークルに引き入れた。

その後、僕は何回か名古屋大学クイズ研に足を運び、ついには秋利とともに、名古屋に新しい社会人クイズサークルを立ち上げることにした。このときも、でき るだけ多くのクイズプレイヤーに参加してもらうために、クイズ界では無名だった僕と秋利だけでなく、五島滋子さん(第1回ウルトラクイズ準優勝)と寺島満 智子さんにも発起人になってもらおうという僕の提案に対して、秋利は、例会を盛り上げるためにも企画が得意な後輩の仲野隆也を発起人に加えたいと提案し た。このあたりもクイズティーチャー秋利美紀雄らしいナイスな発想だった。

ハウエバー稲川のパチンコ島通信「クイズティーチャー 秋利美紀雄」より

「どえりゃあもんくらぶ」という名のこのサークルも、きっと仲野なしではうまくいかなかったろう。

その後、僕も彼も東京へ移り、これまたクイズ部というサークルを立ち上げて、一緒にクイズを楽しんだ。

仲野隆也言ってみれば、仲野は僕がもっともクイズを一緒に楽しんだ伴侶のようなものだった。もちろん、共有した問題数で言えば、まちがいなく彼が最多だった。

彼は大学を卒業後はFMラジオの放送会社に就職したのだが、10年ほどして辞め、ついには長戸勇人ともにクイズの問題制作会社「セブンワンダーズ」を設立、クイズ制作を生業とすることになって現在に至っている。
クイズ、まさしくこれこそが彼の天職であり、人生なのだろう。

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1980年代のクイズ界に彗星の如く現れたプリンス–相原一善

相原一善
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年末のクイズの祭典「Man of the Year Senior」の開催まで残り3週間を切った。

出場する人しない人、いろいろだが、かつてのクイズ仲間の思い出を綴ってみたい。

「クイズ仲間ああ言えば交遊録」と題して、マンオブ開催まで毎日とは言わないが、2日に1回位書いていきたい。

さて、この「クイズ仲間ああ言えば交遊録」のトップバッターは相原一善だ。

相原について、ひょっとして一般の方々はご存じないかもしれないが、今回のマンオブシニアでは大会実行委員長を務めている。

なぜ彼が僕のクイズ仲間の交遊録のトップに来るかといえば、いまだに付き合いのある同世代のクイズ仲間のうちでも、もっとも長い付き合いだからだ。

彼は僕よりも1つ歳上で、高校2年のときにクイズ・アタック25の一般大会に出場、周りの大人たちを破って優勝したのだ。当時、高校生や中学生がこうした番組出る機会といえば、夏休み高校生大会とか中学生大会だったので、番組を見ていて、一般の大人に混じって出られるなんて思いもよらなかった。しかも、彼はそこで優勝してしまったのだ。クイズに志していた当時の秋利少年にとっては、彼は突然現れたシンデレラ・ボーイだった。

相原一善

高校時代に相原に送った手紙–今も保管してあるという。ラブレターでなくて良かった(笑)

それで、この番組を見て、きっとこの相原くんも自分と同じようなクイズマニアにちがいないと勝手に思い込み、テレビ局経由で彼に手紙を出してみた。すると、彼からも手紙が返ってきて、それ以来ずっと大学も違えど、クイズ仲間と言うわけである。

彼と直接顔を合わせるのは大学時代で、東京の早稲田や慶応の学祭などに出かけたり、ホノルルクラブの会合に参加したりの際だ。ホノルルクラブの合宿の際にめったに会えない学生仲間同士で交流戦を行なったりしたのは懐かしい思い出だ。

大学2年から3年に上がる春休みには、日刊スポーツ主催でトリビアル・パスートというクイズのボードゲームの大会が東京で開催されたのだが、その際は彼と組んで出場、見事、準優勝を勝ち獲った。大学の違う異色のペアだった。

僕が大学3年のときに準優勝した1986年のマンオブでは、日本クイズ学生連盟の会長を西村顕治が務め、相原はその下で実務の中枢を担っていた。そして、翌年には彼は連盟(通称:学連)の会長を務める。先に掲げた写真はその当時のものだ。

相原一善

大学時代、彼が名古屋に来て、遊びに行った遊園地のチケットだ。いわくつきのもので、いまだ残っていたそうな。でも、まさかこれまでこのブログにのっけられるとは、思ってなかったろうな。ご本人はドッキリだけど、見ている人には何のことだかわからないから、まあいいだろう。

ウルトラクイズの際はだいだい彼と一緒に行動していた。

まず、第1問めに関しては、まだあたりの暗い早朝から彼やホノルルクラブ会長の村田さんと連絡をとり、毎年正解の情報を入手していたものだ。

第13回のときには、彼は就職活動中ということで、たとえ勝っても出られないことがわかっていた。それで、100名が決定する直前に周囲の多くの人を引き連れて自爆してくれた。ナイスアシストだった。感謝、感謝。

でも、彼自身は、アタックの優勝以降は、ぱっとせず、クイズの歴史においては、彗星のように現れて、彗星のように消え去ってしまった。

ちなみに、ちょっと個人情報を垂れ流しておくと、相原の誕生日は1964年7月29日でちょうど長戸勇人の誕生日の1年前にあたる。同じような関係が僕と西村顕治で僕の誕生日1966年2月11日の1年前が西村の誕生日というわけである。それがどうしたと言われれば、それまでのことでしかないが。

今回のマンオブシニアの開催においては、一緒になって大会開催まで頑張ってきた。あと一息というところだ。

昔からの仲間とともに一つの目標に向かって頑張るというのも悪くない。

今後も是非仲良くしていきたい貴重な友人だ。

 

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twitterの逆襲

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先日、このブログでtwitterの2択アンケートはすぐに終わるだろうと書いたが、それに反発するかのように4択にパワーアップした。

それで、早速活用する方々もいらっしゃる、しかも僕絡みで。僕が絡んで、4択となると…

 

やっぱり、こう来るのか。

それはいいとして、アンケートの結果はかろうじての第3位。やっぱり3位か。

それにつけても、某クイズ王の人気凋落ぶりが鮮烈。

26年の歳月が当人の化けの皮を剥がしたからなのか?(失礼)

 

僕も一つ作ってみるかな、4択。

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「帰れTシャツ」のプリント見本公開

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「帰れTシャツ」のプリント見本が上がってきて、ちょっと公開したところ、物凄い反響で驚いた。

「帰れTシャツ」のプリント見本が上がってきた。生地はDark NavyとOff Whiteの2色。

Posted by 秋利美記雄 on 2015年11月3日

 

みんなの生の声に感謝感激

FACEBOOKページの「秋利美記雄」で昨日のお昼ごろに公開して、ちょっとだけ宣伝したのだが、見る見るうちに拡散し、目下(11月5日17:00ベトナム時間)3235人までリーチしている。

いただいた「いいね!」は113件、コメントは8件で、そのほとんどが、このTシャツが欲しい、というものだった。生の声をお聞かせいただき、感謝感激だ。

 

身生地の色は2色

デザイン募集の際は基本色でお願いとしたところ、当選されたデザイナーさんが白と黒の2色でデザインしたのだが、その後、相談して、やや変更し、ベージュとネイビーにすることにした。

とはいっても、ちょうどいい色の生地が手に入るかは別の話。

日頃付き合いのあるTシャツ屋のお兄ちゃんにプリント見本の依頼したところ、最初はベージュというよりは黄土色が出てきたので別のを持ってきてと言ったら、オフホワイトが出てきた。考えていたベージュは無理らしい。

みんなの反応を見るべく、ツイッターでどっちが好みか、訊いてみた。

 


輪郭が非常にはっきりしているせいもあるのだろうけど、9対1でダークネイビーのほうが断然人気だ。

この話をデザイナーさんとすると、「あ。でも(マンオブシニアの)会場物販で「サイン入り」となったら……オフ白の方がサイン映えますね……」だって。まったくごもっとも。

白のサインペンの用意しとかなきゃ。

 

 

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「マンオブシニア」のエントリーが開始

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この年末に開催されるクイズ大会「マンオブシニア」のエントリーが11月2日から始まった。

事務局からの情報だと、昨日までの3日間ですでに50名近い参加者がエントリーしている。

この調子だと、100名以上の参加は必至、おそらくは最終的に150名から200名くらいの方々が参加されることになるのではないだろうか?

参加資格は?

この大会、要するに僕らの世代の同窓会のノリで始まったために、参加資格にもそうした条件がつけられている。

まず、大前提は、出場者は60年代生まれに限定ということ。年次関係で、一部に例外は設けてあるものの、我々「昭和40年男」らを中心とした60年代生まれのオッサンやオバサンの集まりが一番の前提になっている。

僕らのテレビ出演を見て、クイズの世界に憧れ、足を踏み入れた70年代生まれの後輩諸君には申し訳ないが、出場資格はない。一般観客席は設けるつもりなので、是非当時と同じように、観客として応援してくれると嬉しい。

それで、参加資格には具体的に2種類の枠が用意されている。

まずは、「クイズ研究会枠」。

これはマン・オブ・ザ・イヤーが学生クイズ日本一を決める大会で、全国の大学のクイズ研究会の集まりである「日本学生クイズ連盟」(通称「学連」)主催だったので、当然のこと。各大学のクイズ研究会所属のメンバーが、当時、毎年12月に開かれた大会を懐かしみながら再度開催しようというものだからだ。

もう一つは、「オープン参加枠」。

これは、当時のマンオブには参加しなかった、あるいは、諸事情で参加できなかったけど、クイズが好きで、テレビのクイズ番組で活躍した同世代のスタープレーヤーにも参加してもらおうというもの。

今回のマンオブシニアの大会には、かつてテレビのクイズ番組で活躍していた伝説のプレーヤーが集まる大会の色彩も濃厚に漂うことになる。往年の名プレーヤーたちが集まるファン必見の大会になりそうだ。

 

大会終了後は大パーティー、大会前にもFBで交流を

クイズが終わってからは、出場者及び観客入り混じっての打ち上げの大パーティーもあるので、こちらも楽しみにしてほしい。

エントリー方法は下記ご参照。多くの方の参加を待っている。

すでにエントリーされた方で、FBのアカウントをお持ちの方は、「マンオブシニア出場者グループ」にも参加いただきたい。

スクリーンショット 2015-11-05 11.16.08

 

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「帰れTシャツ」のデザイン決定!

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今日はオランダに住む娘の15歳の誕生日だということもあって、楽しく乾杯したい気分。

それに合わせるかのように、先日からの「帰れTシャツ」のデザイン・コンペの選考が終了し、当選作品が決定した。

当選作品はこちら。
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今回のデザイン・コンペは造形のプロの方にも参加いただきたくて、クラウドソーシングでの公募という形をとったのだが、結果的には、番組に愛着を持って見てくれた方の作品を選ぶことになってしまった。ファンの方々の熱い思いが私の心に響いたということだろう。

デザインしていただいたのは「西沢おやびん&ハウウバー友の会」という、熱心なウルトラクイズ・ファンである西沢おやびんとその仲間の皆さん。決定後も私の細かな修正要望のひとつひとつに丁寧に根気強く対応いただいた結果、素晴らしい作品が完成した。

ここに心よりお礼申し上げる。

このデザインでは、Tシャツは白地と黒地の2色なのだが、生地の手配次第で、ひょっとしてベージュとネイビーに変更することも検討している。皆さんからのご意見もいただけると参考にしたい。

なお、Tシャツの販売開始については、12月初めを予定しているが、詳細は追ってご連絡したい。

皆さん、宜しく。

 

 <お知らせ> 
今年2015年の年末、東京でMan of the Year Seniorというクイズの大会及びパーティーを行うことになりました。これは私たちが学生時代に毎年年末に行われていた学生クイズ日本一決定戦のシニア版です。一般の方も見て楽しめる内容になると思います。
皆さん、是非お越しください。
開催日:2015年12月26日
開催場所:東京ウィメンズプラザ(渋谷区神宮前5-53-67)
詳細は公式サイトからどうぞ。FBページツイッターでも随時情報を発信しています。

 

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「帰れTシャツ」のデザイン・コンペに関わってくれたすべての皆様へ感謝!

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先日より、このブログ上で参加を呼びかけていた「帰れTシャツ」のデザイン・コンペは一昨日夕方をもって、提案募集を終了。

最終的に14名の提案者から32件の応募作品が集まった。現在、選考中である。応募作品を見たい方は下記よりどうぞ。

<「帰れTシャツ」デザイン・コンペ応募作品一覧> (人気投票も可能)

第13回アメリカ横断ウルトラクイズは26年も昔の出来事。その中の第9チェックポイント・ショットオーバーでの、僕と長戸がお互いを帰れと罵り合う場面はいまだに視聴者のファンの記憶に残っているらしい。ツイッターでそうしたウルトラクイズ・ファンの方々と話しているうちに、26年前日記同様うまくのせられて、Tシャツ作りについても、ついやりましょうと言ってしまった。こんな酔狂な企画に参加してデザインのアイデアを出してくれた皆様、さらには、公募を広く呼びかけてくださった皆様、まずはここに深く感謝を申し上げる。

来週中には決めてしまい、12月からの販売に間に合うようにしたいと考えている。

年末のマンオブシニアに参加される方々には是非着て来てほしいなあ。

 

 <お知らせ> 
今年2015年の年末、東京でMan of the Year Seniorというクイズの大会及びパーティーを行うことになりました。これは私たちが学生時代に毎年年末に行われていた学生クイズ日本一決定戦のシニア版です。一般の方も見て楽しめる内容になると思います。
皆さん、是非お越しください。
開催日:2015年12月26日
開催場所:東京ウィメンズプラザ(渋谷区神宮前5-53-67)
詳細は公式サイトからどうぞ。FBページツイッターでも随時情報を発信しています。

 

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「帰れTシャツ」のデザイン・コンペ、いよいよ佳境に!

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先日来、このブログでも宣伝していた「帰れTシャツ」のデザイン・コンペの募集期間が残りあと3日を切った。

10月2日19時(日本時間)現在で、9名の方々から18件の応募が集まっている。

最初は雲を掴むような話だったのも、応募作品が集まるにつれて、目指す方向性が明らかになっていっている。

募集のシステムはプロのデザイナーさん方にもお声がけをできるので、目一杯その機能を使わせていただいている。流石にプロの方々は与えられた条件の中でうまくまとめるなあと感じる。

一方で、デザインの専門家でない一般のTV視聴者もコンペには参加できるので、そうした方々の応募もある。デザインのプロでなくとも、ウルトラクイズにかける情熱がデザインの中にありありと表現されていたりして、こちらもなかなか見逃せない。

Tシャツそのものは、今月、来月で作り上げて、12月初めくらいから販売したいと考えている。

デザインは、その第一歩。

あと3日間。さらに素晴らしい作品が集まることを期待している。

是非、みなさん、宜しく。

デザインのできる方はご応募を、できない方はこの記事や関連の情報をシェアあるいはリツイートしていただけると幸いだ!

P.S.:この公募システムには人気投票もできる機能が付いているので、見て気に入ったのがあったら、ボタンをクリックしてみてほしい。皆さんの意見も参考にしたいので。

 

 <お知らせ1> 
ファンの皆様のご要望にお応えして、ショットオーバーの大声クイズをテーマに「帰れTシャツ」を作成、販売することになりました。現在、下記のサイトにてデザインを募集しています。デザインの腕に自身のある方は是非ご応募ください。
[「帰れTシャツ」デザイン募集のページ]
 <お知らせ2> 
今年2015年の年末、東京でMan of the Year Seniorというクイズの大会及びパーティーを行うことになりました。これは私たちが学生時代に毎年年末に行われていた学生クイズ日本一決定戦のシニア版です。一般の方も見て楽しめる内容になると思います。
皆さん、是非お越しください。
開催日:2015年12月26日
開催場所:東京ウィメンズプラザ(渋谷区神宮前5-53-67)
詳細は公式サイトからどうぞ。FBページツイッターでも随時情報を発信しています。

 

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あとがきのようなもの

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この26年前を振り返る日記はツイッター上でのウルトラクイズファンの方々や同じ第13回ウルトラクイズでグアムの泥の餌食となった泥カバさんとの会話の中から生まれたものだった。

 

26年前に第13回ウルトラクイズに出場した際に、毎日起こる出来事を簡単なメモ風に残しておいた記録が元になっている。

B5のノートに書き綴れられた文字は当時旅の中で、年齢が今の半分も満たない若造の自分が記したものであり、それを久しぶりにじっくりと読み返す作業は実に懐かしく楽しかった。

このブログでは9月4日から9月27日まで書き続けたが、実際の日記は9月1日に上京し、日テレに集合するところから始まっている。 日記の終わりは9月27日になっているが、この日LAで1泊したあとで、翌日のフライトで成田に戻った。パスポートには9月29日帰国のスタンプが押されていた。まさしく1989年の9月はまるまるウルトラクイズの旅で埋め尽くされた。

あれから26年という歳月が流れたのだ!

僕自身は、昨年2014年のベトナムの旧正月休みの際に日本に帰国し、Quiz Japanの取材を受け、久しぶりにボルティモアの4人で集まって、酒を飲み交わし、ファミ劇のウルトラクイズ再放送を取り仕切っていた大学時代の同級生とも会い、ウルトラクイズの再放送のための特番収録があって、…と、この2年間のうちにあの第13回ウルトラクイズを振り返る機会が相次いだ。

一方で、ツイッター上では当時のことを今でも昨日のことのように憶えてくれていて、今なお関心を持ってくれている方々がたくさんいる。あのボルティモアの激闘から20年以上経ってもウルトラクイズを楽しみたいという人たちの声が聞こえてくる。

たまたまウルトラクイズで勝ち進んで、ボルティモアの準決勝まで進んだ経験は、僕一人だけの経験として仕舞っておくべきものでもないだろうと思った。

自分の当時の思いを綴った日記を公開するのは、正直なところ、かなり気恥ずかしいものだが、当時、僕を応援してくれて、ひょっとして、今もまだ興味を持ってくれている人たちがいるなら、話の種を提供するくらいお安い御用だというのが偽らざる心境だ。そして、一緒に回想し、語り合い、楽しもうではないか!

当時の書き殴った文章は、あくまで自分自身のためのメモであり、文脈が不明確だったり、言葉足らずだったりして、今の僕自身ですら読みづらいので、それを補足する意味でずいぶん書き加えたが、文章のベースは当時体験した僕自身の心象風景にある。 とくに、最終日の9月27日の記事は、結果的に、ほとんど当時書いたもの、そのままを書き起こすスタイルとなった。たかがクイズごときに大仰な言葉遣いをしている部分など、今読み返すと顔から火が噴き出しそうだが、当時は真剣だったに違いない。笑って読み飛ばしてほしい。

198909

同時に、これらの記事を書きながら、当時の記憶を辿っていくと、また自分をクイズの世界に飛び込ませたくなってくる。

折しも、今年の年末には、長戸が言い出しっぺで企画したクイズ大会「マンオブ・シニア」&パーティーが東京で開催される。これには僕も発起人として名前を連ねているし、大会にも出場者として参加する。同窓会がてら、クイズの企画に、パーティーに時間のある方は是非ご参加いただきたい。

当時の思い出話を肴に語り合おうではないか!    

 <お知らせ1>  ファンの皆様のご要望にお応えして、ショットオーバーの大声クイズをテーマに「帰れTシャツ」を作成、販売することになりました。現在、下記のサイトにてデザインを募集しています。デザインの腕に自身のある方は是非ご応募ください。 [「帰れTシャツ」デザイン募集のページ]

 

 <お知らせ2>  今年2015年の年末、東京でMan of the Year Seniorというクイズの大会及びパーティーを行うことになりました。これは私たちが学生時代に毎年年末に行われていた学生クイズ日本一決定戦のシニア版です。一般の方も見て楽しめる内容になると思います。 皆さん、是非お越しください。 開催日:2015年12月26日 開催場所:東京ウィメンズプラザ(渋谷区神宮前5-53-67) 詳細は公式サイトからどうぞ。FBページツイッターでも随時情報を発信しています。

 

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