第9回史上最強のクイズ王で西村を追い詰めた男–長束恭行

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交遊録に入れるには年が下過ぎて、あんまり仲良く付き合った記憶はないのだが、そこはクイズ界、テレビ画面越しに活躍する姿を見ていると、初対面でも以前からの知り合いのように話せてしまう仲。

HCMCに遊びに来たという長束恭行と先週末一緒にメシを喰った。

Nagatsuka Yasuyuki

カテゴリはちょっと違う気もするが、「ああ言えば交遊録」というタイトルにはうまくあてはまりそうな人物なので(失礼)、番外編として入れておくとする。

まず、Wikipediaから長束の経歴を抜粋する。

長束 恭行(ながつか やすゆき、1973年1月9日 – 血液型O型)は、日本の愛知県出身のクイズ挑戦者、スポーツライターである。現在はリトアニア在住。

高校時代から視聴者参加型クイズ番組に多く出場し、同志社大学経済学部在学中にクイズ研究会を設立。特に『史上最強のクイズ王決定戦』(TBS)の第9回大会における西村顕治との早押しクイズでの激闘が有名。クイズ大会の優勝歴には、1992年に行われた日本学生クイズ連盟主催のオープン大会『第10回マン・オブ・ザ・イヤー』がある。

東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)行員時代の1997年クロアチアで行われたUEFAチャンピオンズリーグの試合を見たことでサッカーに対する感銘を覚える。その後スポーツライターとしてクロアチアと日本を往復する生活を繰り返し、2001年から同国首都・ザグレブ在住となる。ザグレブ大学クロアチア語コースを修了。

ザグレブ在住となった時から現地のスポーツ専門サイトのカメラマンとして活動するほか、サッカー雑誌の記事執筆、やべっちFC~日本サッカー応援宣言~テレビ朝日)のクロアチア代表偵察要員としての出演など、多方面で活躍。

2011年より、生活の拠点をクロアチアからリトアニアへと移した

私より7才年下なので、直接会った記憶はないのだが、彼の話だと、私と稲川さんが呼び掛け人として興した名古屋の社会人クイズサークル「どえりゃあもんくらぶ」に高校生の時から出入りしていたという。

 

第13回ウルトラクイズ後に私に会っていると長束は言うのだが、私は例によって記憶が定かでない。

ウルトラ以降で名古屋に寄る機会はなさそうなものだが、仲野隆也主催の企画があって会っていると長束が言うのだから、きっとそうなのだろう。

他で言えば、直接顔を合わせたのはFNSの第2回と第3回らしい。その頃は、彼もまだ若くて、上位に入賞できなかったころなので、正直のところ、私の記憶にはあまり残っていない。

ただし、彼は私の獲れなかった学生日本一「マン・オブ・ザ・イヤー」のタイトルを獲っているし、「第6回FNS」準優勝や「第9回史上最強のクイズ王」での西村との差しの早押しでの激闘など、クイズの経歴からすれば、私を遥かに凌駕している。

テレビの視聴者参加クイズ番組がなくなってしまい、マニアばかりが集まる競技大会での難問クイズの路線を敷いたのが彼だという。

 

ともに海外在住ということで、ツイッターなどで以前から話をしていたが、今回は都合よく彼がベトナムに来てくれ、一緒にメシでも喰おうということになった。

彼はクロアチア在住時代に通訳兼サッカージャーナリストに転職し、現在に至っている。

だが、サッカージャーナリストなってからも、クイズへの情熱は変わらず、ときにクイズ界に辛辣な意見を述べたりしている。

 

まあ、昔を振り返ると話したいことは今でもあって、私と彼との接点といえば、名古屋の「どれりゃあもんくらぶ」だったり、はたまた「史上最強」での悔しい思いだったり、師匠筋の近況の話だったりする。

住んでいるところに、ロクな日本食レストランがないらしく、ベトナムに来る前に寿司が食べたいというリクエストがあったので、それに答えて、食事はリーズナブルな寿司屋にした。

実は、昨年のマン・オブ・シニアの後で、岐阜で稲川さんも交えて、3人で会おうかと話し合ったのだが、結局、都合が合わず、お流れになっていた。

でも、そう言えば、なぜか稲川さんの話で盛り上がることはなかったなあ。

まあ、いいか。

 

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