第14回国際繊維製品展示会(VTG2014)を見学

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秋の繊維展示会が一昨日から始まっていた。

昨日行く予定だったのだが、行きそびれていた。

毎年の恒例行事で、こちらはアパレルの展示かというよりも機械の展示会の性格が強い。正直のところ、あまり力が入らない。

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ホーチミン市には現在2つの国際展示会場があり、このタンビン国際展示会場は古い会場。

ちょうど機を同じくして、新しくできたサイゴン展示会議場(SECC)でも、ベトナムで初めての国際ベビー&キッズ用品展示会(Vietbabyfair 2014)が開催されている。明日はそちらも見学に行く。

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日本の刺繍機メーカーは常に人気の筆頭。

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今回はプリント設備が充実していたような気がする。

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カメラを向けると恥ずかしながらも応えてくれた。

 

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ホーチミン市中心部の交通状況

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出張に出ていた10月中旬にNguyen Hue通りの改修工事が始まっていた。この通りの交通規制の余波で周辺の道路状況はかなり酷い。

Mac Thi Buoi通りからSun Wah Towerへは歩いて通りを横切ることもできないし、Le Thanh Ton通りも通れない。行先によってはかなり大回りしないといけない。

Nguyen Hue通りに面するホテルや店舗はなんとか営業している。

昨日タイから出張で来ていたお客さんは通りに面したKim Doホテルに宿をとっていたと言い、非常に不便を感じていた。

工事は来年の4月末まで続くというから、それまでの期間の来客には注意を呼びかけたほうがいい。

営業妨害するつもりはないが、Rex Hotel、Kim Do Hotel、Duxton Hotel、Palace Hotelといった通り沿いのホテルは避けたほうがいい。

2014-10-30 14.12.30

Pasteur通りもこんな交通状況だ。

Rex Hotelの裏でタクシーに乗ろうとしたら、ホテルの人やタクシー会社の人らが3人掛かりで車を呼び止めてくれた。

Nguyen Hue通りに近い、Pasteur通り、Hai Ba Trung通り、Dong Khoi通りは工事が終わるまでは相当混雑が続くだろう。

 

 

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オール九州・山口クイズフェスティバル参戦記

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New Road to Nam Dinh

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New road to Nam Dinh

ハノイからナムディンまでの道路が完全に整備されていた。

Phap Van – Ninh Binhの高速道路をPhu Ly近くで降りて、左に進路を取る。

以前工事中だった新道はNam Dinhまで貫通していた。

快適そのもの。

これで、ハノイのCau GiayからNam Dinh市内まで1時間半で着く。

ナムディンがまたずっと近くなった。

 

 

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3年前の3月11日の午後、ぼくは東京にいた。③

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2011年3月12日_泊まったホテルの飾り絵

翌朝、起きるとベッドの上に飾られていた絵が傾いている。

眠っている間にも大きな揺れがあったのだ。
建物が崩壊しなくてよかったと胸を撫で下ろす。
新人スタッフから連絡があり、電車が動きだし、家に帰れそうなので、
一旦、家に帰ってから、午後、
ぼくの泊まっているホテルまで出なおして来たいと申し出があった。
ぼくはそれを了承した。
土曜日には彼女と、実はもう一人、約束していた知り合いにあった。
彼も前日は家に帰れず、どこかに泊まっていて、
当日は一旦家に帰ってから、
ぼくの泊まっていた西新宿のホテルにやってきた。
二人はそこから夜、近くの居酒屋で食事した。
泊まっていたホテルの数軒隣の居酒屋は営業していた。
客はぼくたち二人以外には後からもう一組入ってきただけだった。
その後、8時頃、成田空港近くにとっていたホテルに向かったのだが、
京成線は、ところどころで長時間停車したりのノロノロ運転で、
やっとのこと、ホテルに着いたのは、深夜0時前だった。
成田のホテルでも揺れば断続的に続いた。
でも、翌日3月13日、
飛行機は予定通り出発し、ぼくはベトナムに戻った。
その翌日からは飛行機も欠航になったりで、
お客さんたちはたいへんだった記憶がある。
ぼくの場合は、まさしく地震のタイミングで東京に入り、
それでも、運良く予定通りにベトナムに戻ってこれた。
あの、揺れの中の生活は、
とてもじゃないが、生きた心地がしなかったろうと思う。
東北で被災された方々のご苦労や悲しみは、
到底、ぼくの想像の及ぶところではないが、
ぼく自身の被災体験を風化させないためにまとめてみた。

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3年前の3月11日の午後、ぼくは東京にいた。②

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金曜日の午後3時前。
とにかく銀行の用件を済ませないとという思いで、
銀行に入った。
銀行の中は最初の激震の余波もなく
平然としていた。
カウンターで用件を済ませた。
それから、新宿駅に歩いて行ったとき、
なにやら只事では済んでいないなということに気づいた。
駅に入ろうとしても、改札の中には入れず、
構内の上からぶら下がっているモニターを見遣り
事態を把握しようと考えた。
日本列島の地図の沿岸部すべてに色がついていて、
津波の心配があるのだろうと思った。
モニターは遠くて、細かなところまではわからなかった。
アポイントをしていた取引先に電話しようにも繋がらない。
あちこちにかけてみたが、どこにも繋がらない。
新宿駅西口でどうしょうかと思案に暮れていた。
とにかく揺れが続き、まともに歩いていられない、立っていられない。
タクシーに乗って行こうかとも考えたが、車を待つ客の列が異常に長い。
とても出ないが、待ってられないなと思った。
1時間位して、これだけたいへんなことになっているのだから
仕事にはならんだろうと結論づけた。
そして、ホテルに引き返そうと決めた。
昼食を取っていなくて、腹が減っていたことを思い出した。
牛丼屋で牛丼を食べたいと思った。
店は閉店の看板を下ろしているところが多かったが、
中に開けているところがあって、
そこで牛丼を食べた。
西新宿のビジネスホテルに引き返すと
エレベータが止まっていて使えなかった。
仕方なく、ロビーで待つ。
ロビーのインターネットの回線を自分のパソコンに繋いで
SKYPEを立ち上げた。
それで、ベトナムの家族や会社のスタッフに連絡がとれた。
実家からも電話をもらっていたようなのだが、繋がらない。
心配する実家の母には、SKYPEを使ってベトナムにいる妻経由で
無事だということを伝えた。
しばらくすると、帰宅難民となった人たちでロビーは埋め尽くされた。
20時頃、ぼくは自分の部屋に戻ろうと、エレベータに乗った。
そのころには、エレベータは回復していた。
部屋にいても、引き続き、揺れが続いている。
大きな揺れが来て、ビルが崩壊したら、
おれは独りで瓦礫の中で死んでいくのだろうなあと考えていた。
揺れが来るたびに、ビクビクしていた。
SKYPEでの交信はホテルの部屋で続けた。
深夜になって、
翌日、面接することになっていた
女性からSKYPEに連絡が入った。
都内で被災して、家に帰れず、
友達の友達(面識のない赤の他人)の家に
身を寄せさせてもらっていた。
SKYPEで話し合って、
翌日の面談は、翌日になってから決めようということにした。
恐怖に震えながら、その夜、床の中で独り、眠りに落ちた。

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3年前の3月11日の午後、ぼくは東京にいた。①

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3年前の今日3月11日の午後、ぼくは東京にいた。

4月からベトナムで働いてもらうことになっていた
日本人スタッフの最終面接のため、
この時期に合わせて日本出張を組んでいた。
いつものごとく、ベトナム-福岡便で週末に実家に戻り、
月曜日から東の方面へ客先を回りながら、
最終目的地の東京を目指した。
3月11日の朝は大阪で迎えた。
そこから、静岡へ。
中国からベトナムへ下着の生産シフトを考えている
メーカーから相談を受け、話を伺いに行った。
午前中、静岡での仕事を終え、11時過ぎの新幹線に乗って
ちょうど金曜日の昼頃、東京に着いた。
東京では、当の新人スタッフの面接を翌日の土曜日に組んであるほかは、
金曜日に取引先2件に挨拶がてら伺うだけの予定だった。
だが、ちょうどその頃、大阪の取引先と
ベトナムでの生産スペース確保のための
工場との契約手続きを進行中で、
その内容につき、手直しを急ぐとのことで
東京に着いてから、その作業に時間を取られた。
銀行に行って、それから客先にも行くアポイントがあった。
だが、結果的にはこれが幸いした。
作業でやっとのことで終え、新宿のホテルを出て、
西口の取引銀行に向かったのは2時半を過ぎたころ。
アポイントは遅れていた。
新宿西口の銀行の建物に入ろうとした瞬間、
只ならぬどよめきとともに、自分の身体が宙に浮いて、
ふっとばされそうな感覚に襲われた。
一瞬、何が起こったのかわからない。
空を仰ぎ見ると、頑丈なはずの高層ビルの群れが、
鉛筆の端っこ摘んで、くゆらせたかのように、揺れている。
立っているのがやっとだった。
この眼の前のビルが折れたらどうしよう?
逃れられないな。
それなら、外に逃げるのではなくて、
この銀行の建物の中に入ってしまったほうが安全だろう、
ビルごと崩壊するなら、どちらにせよ生き延びる道はない。
あの瞬間、概ね、そんなことを考えていた。
初めて体験する規模の地震だった。
最初の大きな振動が若干収まってからも
振動の波は寄せ続ける。
それから、少しして、
これはどうやら大きな地震なのだということをやっと感じ取った。

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ベトナム考古学者・西村昌也君を悼む

西村の墓
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ニュースを聞いてから、数時間が経ち、今でも信じられないのだが、
かつての高校時代のクラスメイトで、ベトナムの考古学を研究していた
友人の西村昌也君が昨日6月9日交通事故で亡くなった。

今から7年くらい前、ベトナムスケッチに彼がベトナムにいて、
考古学を研究しているのを知ったのが、20年以上前の旧交を
温め直すきっかけだった。

当時私はホーチミン市在住11年目、彼はハノイ在住12年目だった。

高校時代のクラスメイトがお互いに知らずにこの国の南北で10年以上
暮らしていた奇縁を面白がったものだった。
しかも、仕事は違えど、互いにこの国の草深い奥地まで入り込んで。

その後、私はハノイに行くたびに、彼と酒を飲みながら語り合った。

映画「インディジョーンズ」に影響されて、考古学者になったという
お調子者だが、単なるお調子だけでは、考古学者はつとまらない。
物価の安いベトナムといえど生活は決して楽ではなく、
苦労を重ねていたことは傍から見てもわかった。

でも、彼とのこの繋がりが、ハノイでの高校の同窓会、牽いては、
ハノイの山口県人会の集まりのきっかけにもなった。

昨年、長年の研究をまとめた本を出版したと聞いたときには、
ハノイの高校の同窓会で、みんなで励ましたものだった。

つい2週間前にハノイの県人会を訪れたとき、日本出張で不在の
当人に代わって、奥様と腕白盛りの男の子2人に会ったばかりだった。
「こんなに近くにいるのだから、今回は会えなかったけど、
またすぐ会えるだろうと思っていたのに。」

西村君のご冥福をお祈りいたします。

 

ベトナムの考古・古代学(同成社)

 

西村昌也博士の遺作となった2011年発表の著書。

東南アジア史学会賞受賞作。

 

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