3択問題を毎週100問作成!名大の誇った問題製造マシン–仲野隆也

仲野隆也

交遊録の先鋒が相原なら、次鋒は仲野隆也だ。

相原は現在マンオブシニアの準備の関係で近頃は頻繁に連絡をとっているので、
昨日出したブログ記事にすぐに反応して連絡をくれたが、(だから、あんまり下手なことも書けなかったんだけど^^;)
仲野は最近メールしても、なかなか返事も返ってこないし、このブログも読んでないだろうから、気兼ねなく思ったことが書ける。(^^)

仲野隆也は、生まれは同学年だが、一浪して大学に入ってきたので、以来、ずっと後輩扱いだ。
本人はそれをちょっと不満に思っていたようで、先日のQuiz Japan主催の東京でのトークライブの際にブツクサ言っていた。

仲野隆也

名大クイズ研30周年パーティーで挨拶する仲野隆也

仲野のクイズデビューも相原同様高校時代で、クイズタイムショックの高校生大会で9問正解して優勝。
このときには、今や押しも押されぬクイズの女王・石野まゆみも出場していて、彼女は8問正解で仲野に敗れている。

高校時代にテレビ出場したことから、大学のクイズ研以前から僕の方は知っていて、名大にクイズ研究会を作った時も、ひょっとして彼がサークルに入ってこないかなという期待はあった。
そして、期待通り、クイズ研究会設立後の1985年4月の会員募集時に見事彼はやってきた。
各サークルが新入生を勧誘する「地獄の細道」というサークル紹介のイベント中、「ああ、あった、あった、ここだ」とかなんとか言いながら、クイズ研にやってきたのだった。

1984年12月にできたばかりの名古屋大学クイズ研究会に仲野が加入したことで、我々のサークルが大きく飛躍する基礎ができたということは紛れもない事実だ。この後、名大クイズ研は設立時に参加した大石禎(第15回ウルトラ・第10CPドミニカ敗退)と、呼び掛け人の僕、さらに仲野の同い年生まれ3人が中心になって活動していった。

仲野は家が三重の県庁・津にあって、毎日、電車で2時間以上かけて、自宅から大学まで通っていた。
電車の中で暇な時間は腐るほどあるということで、その時間をクイズの問題づくりに充てていた。

そういう中で生まれたのが、毎週クイズの例会で行われた3択100問ペーパークイズだった。

これはウルトラクイズの成田からグアム(あるいはサイパン)に向かう飛行機の中で行われたクイズと同じ形式で、
100問のマークシート方式の3択クイズを8分、つまり1問あたり4.8秒という短時間で解くというものだった。

本番のウルトラクイズでは200問ずつ2回の合計400問で行われたが、仲野は毎週その3択を100問用意し、僕らはそれにほとんど毎週挑戦した。
問題作成をしたことのある人ならわかると思うが、問題というのはそんなにポンポン浮かんでくるものではない。
それを、学生時代を通じて、ほとんど毎週のように100問の3択ペーパークイズを作って、皆を楽しませ、実力を鍛えていた彼には、今思うと本当に頭がさがる思いだ。
今更だが、この場を借りて感謝の意を表したい。(たぶん本人は読んでないだろうが^^;)

年末に東京で開かれていた学生日本一決定戦でもこの形式で予選を行うのが恒例となっており、日頃から仲野が作り出す3択で鍛えられていた我々名大勢は圧倒的な強さを見せつけ、「3択の名大」の名前で一躍知られるようになった。
仲野と僕が出場していたころの1986年から1988年までの3年間は、予選の1位と2位に与えられるシード権を僕と仲野の2人でほぼ独占していた。

とりわけ、1986年のマンオブは予選1位秋利、2位仲野で、決勝で仲野が優勝、僕が準優勝と名大クイズ研の台頭を轟かせる大会となった。
僕自身はこの3年間はすべてシード権獲得、うち86年と88年は1位だった。それもこれも仲野の3択問題のおかげである。

彼の作った毎週の3択クイズの問題集は、その後、立命館など他大学のサークルの人も欲しがり、コピーが出回るようになった。今ならオープン大会の問題集がふつうに出回るようだが、当時はそういうことは珍しく、言ってみれば、彼の3択問題集はそうしたクイズ問題集の走りだったと言えるかもしれない。

プレーヤーとしての彼の足跡は、先に上げた高校時代のクイズ・タイムショックの優勝やマンオブの優勝以外に、これに先立つ1985年のトリビアルパスート日本選手権で、同じサークルの同級生・松岡と出場し、僕と相原のペアを抑えて優勝している。

1989年の第13回ウルトラクイズでも彼の活躍で、僕や長戸など、名大・立命館組が大量予選合格する原動力となっていた。だが、この大会では当の本人は成田のジャンケンで負けてしまい、これ以降、日本一決定戦ものの番組もそこそこのところまでは行くのだが、パッとした戦績は残せていない。

これまで振り返ってみてきたように、彼はプレーヤーとしてももちろん有能だったが、それ以上に問題制作者、企画者として優れていた。

東京のホノルルクラブや関西クイズ愛好会のような社会人クイズサークルを中京地区に作ろうと稲川良夫氏(第11回ウルトラクイズ優勝者)と企画したとき、僕が企画担当者として有能な仲野をサークルに引き入れた。

その後、僕は何回か名古屋大学クイズ研に足を運び、ついには秋利とともに、名古屋に新しい社会人クイズサークルを立ち上げることにした。このときも、でき るだけ多くのクイズプレイヤーに参加してもらうために、クイズ界では無名だった僕と秋利だけでなく、五島滋子さん(第1回ウルトラクイズ準優勝)と寺島満 智子さんにも発起人になってもらおうという僕の提案に対して、秋利は、例会を盛り上げるためにも企画が得意な後輩の仲野隆也を発起人に加えたいと提案し た。このあたりもクイズティーチャー秋利美紀雄らしいナイスな発想だった。

ハウエバー稲川のパチンコ島通信「クイズティーチャー 秋利美紀雄」より

「どえりゃあもんくらぶ」という名のこのサークルも、きっと仲野なしではうまくいかなかったろう。

その後、僕も彼も東京へ移り、これまたクイズ部というサークルを立ち上げて、一緒にクイズを楽しんだ。

仲野隆也言ってみれば、仲野は僕がもっともクイズを一緒に楽しんだ伴侶のようなものだった。もちろん、共有した問題数で言えば、まちがいなく彼が最多だった。

彼は大学を卒業後はFMラジオの放送会社に就職したのだが、10年ほどして辞め、ついには長戸勇人ともにクイズの問題制作会社「セブンワンダーズ」を設立、クイズ制作を生業とすることになって現在に至っている。
クイズ、まさしくこれこそが彼の天職であり、人生なのだろう。

今朝は「帰れTシャツ」を着て散歩へ

今朝もいい天気だった。

食糧が尽きかけてきたので、今日は市場へ買物。

家の近くの、橋を渡ってすぐのところにあるフーニャン市場(Chợ Phú Nhuận)だと10分もかからないのだが、朝の散歩を兼ねて、片道20分ほどかけて、いつも、遠くのグエンバンチョイ市場(Chợ Nguyễn Văn Trỗi)まで出掛けている。

帰れTシャツで

今朝は自社製の「帰れTシャツ」を着てみた。 ウルトラクイズファンの方がデザインしてくれた逸品だ。

今まではずいぶん太っていたこともあり、大きめのサイズを着ていたが、身長170cmの人を基準にしているMサイズを着ても身体にピッタリで違和感ない。今日はいつものクセで大きめのLサイズを着てみたが、ダイエット効果か、お腹の部分はちょっとダブつき気味。太っていた頃だと、これくらいでちょうど良かったのだが。

市場では買う店はだいたい決まっている。真直ぐ目的の店へ行き、ちゃちゃっと済ませる。男の買物だ。

今日、買ったものといえば…

パイナップル屋でパイナップルを丸ごと1つ。

ハム屋で好物の田舎風ハム1本。

たまご屋で6個入の卵を1パック。

青菜屋でレタスと空芯菜を10000ドン(60円)分。

豆腐屋で豆腐1丁。

パイナップルを買う

6時に家を出て、7時前には戻った。

屋上でトレーニングして、シャワーを浴びて、朝食。

今朝の朝食はパイナップルだ。

そうやって、1日が始まる。

橋の上から

1980年代のクイズ界に彗星の如く現れたプリンス–相原一善

相原一善

年末のクイズの祭典「Man of the Year Senior」の開催まで残り3週間を切った。

出場する人しない人、いろいろだが、かつてのクイズ仲間の思い出を綴ってみたい。

「クイズ仲間ああ言えば交遊録」と題して、マンオブ開催まで毎日とは言わないが、2日に1回位書いていきたい。

さて、この「クイズ仲間ああ言えば交遊録」のトップバッターは相原一善だ。

相原について、ひょっとして一般の方々はご存じないかもしれないが、今回のマンオブシニアでは大会実行委員長を務めている。

なぜ彼が僕のクイズ仲間の交遊録のトップに来るかといえば、いまだに付き合いのある同世代のクイズ仲間のうちでも、もっとも長い付き合いだからだ。

彼は僕よりも1つ歳上で、高校2年のときにクイズ・アタック25の一般大会に出場、周りの大人たちを破って優勝したのだ。当時、高校生や中学生がこうした番組出る機会といえば、夏休み高校生大会とか中学生大会だったので、番組を見ていて、一般の大人に混じって出られるなんて思いもよらなかった。しかも、彼はそこで優勝してしまったのだ。クイズに志していた当時の秋利少年にとっては、彼は突然現れたシンデレラ・ボーイだった。

相原一善

高校時代に相原に送った手紙–今も保管してあるという。ラブレターでなくて良かった(笑)

それで、この番組を見て、きっとこの相原くんも自分と同じようなクイズマニアにちがいないと勝手に思い込み、テレビ局経由で彼に手紙を出してみた。すると、彼からも手紙が返ってきて、それ以来ずっと大学も違えど、クイズ仲間と言うわけである。

彼と直接顔を合わせるのは大学時代で、東京の早稲田や慶応の学祭などに出かけたり、ホノルルクラブの会合に参加したりの際だ。ホノルルクラブの合宿の際にめったに会えない学生仲間同士で交流戦を行なったりしたのは懐かしい思い出だ。

大学2年から3年に上がる春休みには、日刊スポーツ主催でトリビアル・パスートというクイズのボードゲームの大会が東京で開催されたのだが、その際は彼と組んで出場、見事、準優勝を勝ち獲った。大学の違う異色のペアだった。

僕が大学3年のときに準優勝した1986年のマンオブでは、日本クイズ学生連盟の会長を西村顕治が務め、相原はその下で実務の中枢を担っていた。そして、翌年には彼は連盟(通称:学連)の会長を務める。先に掲げた写真はその当時のものだ。

相原一善

大学時代、彼が名古屋に来て、遊びに行った遊園地のチケットだ。いわくつきのもので、いまだ残っていたそうな。でも、まさかこれまでこのブログにのっけられるとは、思ってなかったろうな。ご本人はドッキリだけど、見ている人には何のことだかわからないから、まあいいだろう。

ウルトラクイズの際はだいだい彼と一緒に行動していた。

まず、第1問めに関しては、まだあたりの暗い早朝から彼やホノルルクラブ会長の村田さんと連絡をとり、毎年正解の情報を入手していたものだ。

第13回のときには、彼は就職活動中ということで、たとえ勝っても出られないことがわかっていた。それで、100名が決定する直前に周囲の多くの人を引き連れて自爆してくれた。ナイスアシストだった。感謝、感謝。

でも、彼自身は、アタックの優勝以降は、ぱっとせず、クイズの歴史においては、彗星のように現れて、彗星のように消え去ってしまった。

ちなみに、ちょっと個人情報を垂れ流しておくと、相原の誕生日は1964年7月29日でちょうど長戸勇人の誕生日の1年前にあたる。同じような関係が僕と西村顕治で僕の誕生日1966年2月11日の1年前が西村の誕生日というわけである。それがどうしたと言われれば、それまでのことでしかないが。

今回のマンオブシニアの開催においては、一緒になって大会開催まで頑張ってきた。あと一息というところだ。

昔からの仲間とともに一つの目標に向かって頑張るというのも悪くない。

今後も是非仲良くしていきたい貴重な友人だ。

 

寝不足で走れず

最近はレバンタム公園(Công viên Lê Văn Tám)のほうへ足が向きがちだ。

いい癖になっていると思う。

今朝も、買物に行く必要がなさそうだったので、公園の方へ。

ただ、今朝は睡眠不足で、どうも身体がだるい。昨日、ブログで生活習慣が大事と書きながら、書いた本人が実践できていなかった。床に就いたのが24時。十分な睡眠時間が取れていないのが、原因だ。

走れるどうか心配だったが、案の定、1周もしないうちにバテてダウン。散歩に切り替えた。

まあ、これを気にしなくなったのが継続の秘訣だから、それでよい。また、明日か明後日に走ればいい。

サンタクロースの季節

街はこの通りクリスマスシーズンに本格突入。

家への帰り道は気分を換えて、違う道を通ってみる。

学校の近くの鳩

学校の前に鳩の群れが。

この写真を撮った瞬間、シャッター音で皆、はばたいてしまった。

朝の通勤風景

今日は出発も遅く戻りも遅かったので、家に戻る直前には、もうこれだけの出勤のバイクが走っていた。

コーヒー売店

最近、あちこちで見かけるコーヒー屋台のチェーン展開?

ベトナムは今やコーヒーの輸出でブラジルと世界一を争うだけあって、あちこちにカフェやコーヒー屋が見受けられる。朝は一杯のコーヒーから始まる人も少なくない。

さあ、今晩は早く寝るぞ!と朝から決意。

8ヶ月弱で10kg減量できたダイエットを振り返る

今年になって、人前に出る機会が多くなったことから、人前に出ても恥ずかしくない体型をということで、ダイエットに励んでいる。デブは見苦しいし、恥ずかしいから。

ようやく成果が出てきて、ちょっとこの辺りの個人情報を披露しても恥ずかしくないくらいになってきた。

レバンタム公園

8ヶ月弱で10kg減量!

4月初めには77kgあった体重が、今朝の時点で67kgと10kgの減量を達成!

目標は年末までに65kgなので、あと一息だ。

8ヶ月弱で10kg落とせたので、まあ、まずまずの成功と言えると思う。

年末までにあと2kg落として、大成功としたい。

体重計で67kg

僕がダイエットのためにやったこと

減量の道のりは、実はそんなに簡単なものではなかった。自分にとって何が一番効いたのかを振り返る意味で、ここでダイエットのためになったと思われることをまとめておきたい。

  • 朝食はフルーツのみ
  • 朝の散歩あるいはジョギング
  • 朝の散歩の後のトレーニング
  • 週末断食
  • 早寝早起き

他にも、ちょっとやってやめたことはいくつかあるのだが、続いていることに絞ってみた。

朝食はフルーツのみ

朝食は果物だけにしているが、これは実はこの数年来の習慣だ。

幸い、ベトナムにいるので、フルーツはふんだんにあって、お値段も手頃。この環境を利用しない手立てはないと思い、始めたのが朝食フルーツのみのダイエットだ。

mango & dragon fruit

最近は、のど風邪に効くというので、パイナップルが多いが、他にもパパイヤやマンゴ、ドラゴンフルーツ、果てはドリアンまで、とにかくフルーツ天国ベトナムにいるので、果物には事欠かない。

朝食フルーツのみのダイエットについては、「朝フルーツダイエットで簡単痩せ!おススメ果物と注意点」に詳しい。

朝の散歩も継続中

朝の散歩も数年続いている。当初は朝ジョギングという高い目標を立てて始めたのだが、そうすると、すぐにへこたれてしまう。

それで、あまり目標を高くせず、継続することに重点を置いた目標に置き換えたのだ。

具体的には、早く起きられたら、散歩に出かけるというもの。最初から、毎日なんて、気張ってしまうと、できなかったときに、すぐに挫折してしまう。それを早く起きられたらという、非常に低い目標設定にすることで、継続することに成功している。長続きしない僕にとっては、継続こそが最大の目標課題なのだ。

それで、前日宵っ張りで、朝寝坊してしまっても、また明日頑張ろうということで済む。

散歩自体は、2年前からの一人暮らしで、朝、市場に買い出しに行くのとを兼ねている。だから、どんなにサボろうとも週に2-3回は行かざるをえない。

でも、最近は市場と反対の公園でジョギングするようになって、これがまた楽しくなってきた。何の気負いもなく、最初は公園でも歩いていただけなのが、ちょっと走ってみたら、それが癖になってしまった。今は、市場に出かけるのを週3回に絞り、それ以外を公園で走ることにしている。

散歩の後にはトレーニング

朝の散歩の後には家の屋上でトレーニングをしている。トレーニングメニューは次の通り。

  • ツイスト100回
  • 瞑想1分
  • 足上げ腹筋3分
  • 背筋20回

体重が80kg以上あった頃には身体が回らず、壁を背にして立って、身体を反転させて両手を壁につくことが容易ではなかった。これを当初は左右に50回やるのだが、正直なところ、壁に手を掠るのが精一杯だった。それが今ではしっかり壁に両手をつけて、それを100回繰り返している。今なら余裕で身体が回る。

その後、着ていたシャツを地べたに広げ、そこに仰向けに寝転がって、空を仰ぎ見て、その後で瞑想に入る。これも最初はいろんな事が頭をよぎって、自分は煩悩の塊だなあ、と自己嫌悪に陥っていたのだが、最近はわりと、頭の中を空っぽにすることができるようになったような気がする。何事も習慣だ。

blue sky

それから、仰向け状態のまま、足上げ腹筋。最近は1から10まで数えて、指折りしながら、右手で10回、左手で10回、全部で200を数えている。おそらく3分間くらいだと思う。腹筋しながら、手で腹の肉をつまむと、まだまだぷよぷよしているのがわかる。5kgくらいはまだ余裕で落とせそうだ。

最近、気づいたことだが、80kg以上も体重があったころは腹の肉はカチカチだったことだ。カチカチだと脂肪が溶けて落ちるのには、相当なエネルギーの消費を必要とするのだろう。最近はぷよぷしていて柔らかいので、運動してエネルギーを消費すれば、わりと簡単に無駄な脂肪が落ちるのだと思う。

そして、最近始めたのが、うつ伏せになって、身体を反らす背筋の運動だ。まだ定着しておらず、ときどき忘れてしまって上がってしまうこともある。でも、気にしない。

詳しいことはわからないのだが、腹筋と背筋とバランスよく鍛えたほうが効果が高いという話を聞いてから始めてみた。さて、成果は如何に。

ダイエット

ヨーグルトで週末断食

これ以外に4月ごろから3週間に1回のペースで週末断食をしている

土曜日と日曜日の2日間だけ断食をする。断食といっても、日に3度ヨーグルト1パックと豆乳1パックを採るので、正確に言えば断食とは違う。

これは年初からなかなか減量が進まないので何かいい方法はないか探して見つけたものだ。

7月に帰国の際にイベント3連戦が待ち受けていて、その時までになんとか70kgまで減量したいという強い思いがあった。

結果的にはこれはうまく行き、なんとか目標の70kgでイベント3連戦を迎えた。昨年末のウルトラクイズのスタジオ収録からだと7kg減量したわけなので、周囲の人達はちょっと驚き気味だった。そういうリアクションは嬉しいものだ。

この断食を始めて良かったと思うのは、日頃自分が如何に食べ過ぎていたかを自覚できたことだ。人間、少々食べなくても平気で、大体にして食べ過ぎなのだ。食べる量が多すぎるのだ。無駄に食べて、無駄についた贅肉を落とすために、必死になってダイエットして、と実にバカバカしいことをしている。

以来、最近では食事の量についても、気を配って、食べ過ぎないようにしている。たくさん食べてもトイレに行って、出すだけなのだし。無駄メシ、食べずべからずだ。

3週間に1度の週末断食のおかげで、胃袋もちょっと小さくなった気がするし、何より食べ物のありがたさや、先に挙げたようなそれに伴う食に関する考え方の変化が非常に大きいと思う。これは絶対にオススメのダイエット方法だ。

早寝早起きが最高のダイエット方法だ

ここまで挙げてきたのは、直接的な方法だが、僕が感じる限りにおいては、一番効き目があるのは早寝早起きだと思う。

僕の場合、早寝早起きに変えたことで、先の述べた4つの方法のうちの朝の散歩とトレーニングが実行できるわけだ。寝不足な状態で早起きして、散歩やトレーニングをしても無意味だから。

これまでは、いつも夜遅くまで起きていて、朝も早起きができなかった。それが最近では4時ラーを称するまでに至っている。

でも、今でもちょっと油断すると、夜更かしをしてしまいがちだ。だから、毎夜、今日は21時寝るぞとか22時には寝るぞとか、自分に言い聞かせている。21時に寝て、4時に起きるのがベストで、それがダメなら、22時には寝床に就きたいところだ。

そして、これを実行するには、夕食を早めに摂る必要がある。寝る2時間前には食事を終えていたほうがいいというのだ。だから、とくに、何もなければ17時半くらいから、夕食の準備をして、18時には食べ始めるように心がけている。そうすれば、19時には食事を終えて、21時には寝ることが可能だから。

人との会食のときは19時開始のことが多く、そんなときは仕方ない。でも、仲の良いお客さんのときには、18時とか18時半とかからの早めにすることが多い。

何よりも大事なのは生活習慣

いろいろと挙げてきたが、一番大切なのは生活習慣だと思う。

先に挙げてきた5つの方法にしろ、継続的な要素がいずれにも含まれている。つまりは、習慣だ。健康的な生活習慣を身につけることが、何よりもダイエットがうまくいく秘訣なのだはないだろうか。

レースの行方は?

きょうは土曜日。

朝からレバンタム公園(Công viên Lê Văn Tám)に散歩に出掛けた。

先日からのハイテク農業見本市はいよいよ明日で閉幕。

今日は走っていると、同じように走っているおじさんとレースになってしまった。

こちらは競争しているつもりないのに、おじさんはムキになって抜き返す。

High-Tech Agro Fair in HCMC

ぼくは普段のペースで走りたかったのだが、おじさんの後を走るのはペースが掴めて、ちょうどいいので、終始後を走っていた。

だが、おじさんはペースにムラがあって、ときどきペースが落ちてしまう時がある。きっと僕に負けまいと、ちょっと無理して走っていたのかもしれない。おじさんのペースが落ちた時には、僕は別に抜くつもりはなくても、自然と追い抜いてしまう。すると、おじさんはムキになって抜き返すということの繰り返しだった。

2015-12-05 06.42.04

いつもは軽くジョギングなのだが、今日は結果的にかなり一生懸命走ってしまうことになった。

バテバテだったが、気持ちいい。

また、次回、おじさんとの競争を楽しみにしたい。

ちなみに、レースの結果だが、3周めの半分あたりでおじさんのペースが落ちた時に、一気に抜いてそのままスパートを掛けて走りきってしまった。終わるとバテバテ。

血圧の動向

4周めは散歩して、公園を後にする。

家に帰って、朝ごはんの前に血圧を測る。

上:129

下:85

上々だ。

朝のタンディン教会

天気もいいし、清々しい1日が始まる。

お寺のある散歩道

ニュウロック運河

冷蔵庫の中がかなりすっきりしてきたので、今朝は市場に買い物に出かけた。

rising sun

中国と係争中の南シナ海の島の名前をとってホアンサー通り(Đường Hoàng Sa)と名付けられた運河沿いの道は曲がりくねっていて、散歩道としては最高だ。直線道路を歩くよりも風景に変化があっていい。

この運河沿いの道には寺や教会がいくつか並んでいて、風情がある。

wat chantaransay

最初に見えてくるのはチャトランサイ寺院(wat chantaransay)。

ベトナムの仏教は日本と同じ大乗仏教が中心だが、まれにこうした小乗仏教の寺もある。 カンボジア人などが集まる。

この仏教寺院よりも手前にはソムラック教会(Nhà Thờ Xóm Lách)という教会もある。

このニュウロック運河(Kênh Nhiêu Lộc)はかつては異臭の漂う、汚れきったゴミ溜めのような酷いところだったが、今ではこの通り、きれいに整備されている。運河には観光ボートも運行を始めている。写真の左が船着場だ。

pignion

お寺には鳩。飛び立つ瞬間をパシャリ。

Phap Hoa Temple, HCMC, Vietnam

朝陽に照らされ、燦然と紅く輝くのは法華寺(Chùa Pháp Hoa)。

ホーチミン市師範大学(Trường Đại Học Sư Phạm Tp. HCM)の脇にあり、いつも私が買物する市場とレバンシー通り(Đường Lê Văn Sỹ)を隔てて、向かい側に聳え立っている。

師範大学は私がベトナムに来たばかりの頃、ベトナム語を勉強した大学で、当時は外国人向けのベトナム語のマンツーマン・レッスンが売りだった。先生はロシア留学もされたハイ先生。もうかなり年配の女性の教授で、外国人向けコースの指導者養成コースの主任教授でもあった。ハイ先生はこの大学の学舎に併設された教員寮に住まわれていた。今はどうされているのか、時々気になる。

Vinh Nghiem Temple

買物袋を両手に持って、運河沿いを戻ってくる。

ナムキーコイギア通り(Đường Nam Kỳ Khởi Nghĩa)まで来ると、日本と繋がりの深い永厳寺(Chùa Vĩnh Nghiêm)の仏塔が目に入る。この辺りではちょっとしたランドマークだ。

天気も良くて清々しい朝だった。

 

 

3日連続で朝ジョギング

ハムの美味しいニューラン

このところ、夜更かし気味で朝起きられなかったが、今日は定刻の4時起きできた。

今日も買い出しに出る必要はなかったので、レバンタム公園(Công viên Lê Văn Tám)で走ることにした。

出掛けたのは5時半を回っていたのに、まだ薄暗い。

革命家フォー屋

かつて革命家たちが集まっていたフォー屋では店主がせかせかと店の準備に余念がなかった。

ハイバーチュン通り(Đường Hai Bà Trưng)の有名サンドイッチ屋はやっていたが、まだ店を開けていないところも多かった。

このあたりの店は朝早い店でも開店するのは6時くらいだろう。

タンディン教会

冬至が近づくに連れて、朝陽の出が遅くなっている。あと3週間。いまが1年で一番朝の遅い季節だ。

これが乾季の終わりから雨季の前半だと30分は早い。

2015-12-01 06.12.22

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レバンタム公園では明日からの「ハイテク農業見本市」の準備がほぼできていた。

まだ6時だというのに、コーヒー販売の会社はアオザイ姿の女性を配置し、コーヒーの試飲を勧めていた。

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今日もいつもどおり3周走って、最後のもう1周は歩いた。

走ることに身体が徐々に慣れていっている。

1周めはゆっくり身体を馴らすだけだが、3周めになると、自然とスピードがついてくる。だが、身体が鈍っているので、3周も走ると息が上がるのだが。

終えて帰りにまたハイバーチュン通りを戻る。

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なしを売っているようだ。

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フォー屋は準備万端で客を待ち受けている。

6時半前に家に戻ると、7時までにトレーニングして、シャワーも浴びられる。

7時からゆっくりと朝食を摂るのが理想的な朝のスタイルだ。

 

雨上がりの月曜日の朝

Le Van Tam Park on Monday after rainy Sunday

日曜日、夕方、床屋で耳掻き-白髪取り-足の爪切りをしてもらって、家に帰ってきたと思ったら、途端に雨が降りだした。 もうすでに雨季は終わって乾季に入っているのだが、ときおりこうした雨は来る。 雨上がりの月曜日の朝は涼しくて快適だ。

昨日、月水金は市場に買物に出ることにしたばかりなのに、今朝、朝起きて冷蔵庫の中を見たら、とくに買ってくるものはないほど食べ物に溢れていた。それで、早速計画を変更し、本日もレバンタム公園(Công viên Lê Văn Tám)でのジョギングに。

展示会の時計

展示会ブースの準備

展示会の準備

公園の展示会の準備はまだかかりそうだ。メインの屋根ができていない。

何の展示会か気になって調べたら、「ハイテク農業見本市」だった。12月2日から6日まで開催予定だ。

High-tech agriculture fair to open in HCM City

展示会用の薔薇

展示会用のダリア

公園までのハイバーチュン通り(Đường Hai Bà Trưng)は花屋が多い。

朝から美しい花を眺めるのも乙なものだ。

 

 

本日はカレーなり

Pork curry

今日は11月29日で「いい肉の日」だそうだが、そんなことには関係なく、冷蔵庫に残っていた豚肉の塊とトマトを見つけ、ちゃちゃっとカレーを作った。

夕方から床屋にでかけ、耳掻き-白髪抜き-足の爪切りの90分コースを堪能したら、6時前。

晩飯はちゃちゃっとやりたかったので、手慣れたカレーにした。

cooking curry

玉ねぎをしっかり炒めて、ご自慢の10種類以上の香辛料を加えてさらに炒める。

そのあと、別に軽く火を通した豚肉を加えて、トマトも加え、水を入れ、じっくり煮込む。

具は、豚肉とトマトと玉ねぎだけのシンプルさ。

これにホワイトソースを作って加えると、こうなる。

cooking curry

唐辛子でしっかり辛いのだが、口当たりは極めてマイルドだ。

しばらく煮込んだ後、仕上げのガラムマサラ、というかまた、香辛料4-5種類を適当に加えれば、出来上がりだ。

salad with my original dressing

付け合せには、トマトとワカメとレタスのサラダ。

ドレッシングは塩コショウに、オリーブオイルとビネガーを加えた自作。これに市販のベトナムの思い切り甘ったるいドレッシングをさらに加える。ベトナムの市販のドレッシングだけだと、甘ったるすぎて食べていられないが、こうやって自作のドレッシングにちょっとだけ混ぜると、甘さがほんのり通って食べやすくなる。

 

晩にごはんは控えているので、今晩は代わりにガーリックバゲットを近くのパン屋から買ってきた。

ご飯食べなくても、パン食べてれば、炭水化物を摂っているではないかというつっこみはこの際なしにしてもらいたい。

写真がないが、このパンは実に美味くて、カレーともバランスが良かった。