ウルトラクイズ

新年

LINEで送る
Pocket

あけましておめでとうございます

 

2018年の正月はサイゴンの中心で迎えた。

 

街中バイクの波で動けないし、車もバイタクも捕まえようがなくて、結局、歩いて家まで帰ったよ。

ツイートに「いいね」がたくさんついている。 皆さん、ほんとにありがとう。

中には、こういう人もいるのでちょっと説明しておこう。

時は1989年9月27日。第13回アメリカ横断ウルトラクイズの準決勝ボルティモアでのこと。

もう30年近く前のことなのに、一言つぶやくだけで皆さんが思い出してくれる。

 




LINEで送る
Pocket

わが心のボルティモア

LINEで送る
Pocket

昨年、1989年の第13回ウルトラクイズの記憶をたどった26年前日記を公開してから、ぼくの思い出の奥底にあったものが再びよろよろとはばたきだした。

あのころ、クイズにかけた情熱。

それは、年末に開催されたマン・オブ・シニアで少しだけ蘇ってきた。

懐かしい友達との同窓会では、でも、久しぶりにしっかりとクイズを楽しんだ。ぼく自身は予選で敗退したのだけど。

 

1989年9月27日ボルティモア決戦

今でも多くの人たちが記憶にとどめてくれている第13回アメリカ横断ウルトラクイズのボルティモアの準決勝。

 

 

ぼくはこの番組に出場した当事者だったのだ。今からもう27年も昔のことだ。

 

結局、勝負では負けてしまったが、大舞台で神経をピリピリさせながら、ボタンを押すのは実に楽しかった。

通せんぼクイズのルールが見事に決まって、誰がお立ち台に立っても潰されて、一から出直しという過程を繰り返した。

優勝した長戸とは、学生時代、何度も夜通しで早押しクイズを楽しんだ仲だったが、まさかウルトラクイズの準決勝の大舞台でそんな姿を全国のテレビ視聴者の皆さんに見せられるとは思いもしていなかった。

でも、それが現実になったのだ、しかも、最高のパフォーマンスの形で。

そして、多くの人たちの記憶にボルティモアはウルトラクイズ最大の激戦地として記されたのだ。

 

 

記録をたどってみると…

そのボルティモアで一緒に負けて帰ってきたたー兄こと田川さんの記録によれば、あのときぼくたちがボルティモアにいた時間は24時間もない。

26日午後に前のチェックポイントであるメンフィスを飛び立ち、昼過ぎにワシントンのダレス空港に着いて、ボルティモアのホテルにチェックインしたのは16時。

ホテルを出て、皆でハンバーガーを食べ、夕食はトメさんとの会食。

翌27日は朝2時間近くの長丁場の勝負が終わって、13時にはダレス空港に着いている。

勝負が決着する瞬間まで緊張の連続で、ボルティモアにいたのかどこにいたのかわからないというのが実感だ。

 

ボルティモアってどんな町?

改めてボルティモアがどんな町なのかを調べてみると、なかなか魅力的な町らしい。

ボルチモアの名前はメリーランド植民地の建設の立役者であるアイルランド貴族院議員の第2代ボルティモア男爵、シラス・カルバートCecilius Calvert, 2nd Baron Baltimore)に由来する。爵位の名の由来のなった「ボルティモア」はアイルランドの南部にあるコーク州にある都市「ボルティモア (Baltimore, County Cork)に由来し、これはアイルランド語で「大きな家の町」を意味する「バイレ・アン・ティー・モーイル(Baile an Tí Mhóir)」が英語風に変わったものである。

町の名前はアイルランド語から来ているというわけだ。

クイズの決戦会場となったマクヘンリー要塞があるくらいだし、歴史的な建築物は多い。

古い街並みだけはなんとなく僕の記憶にもある。

カニが名物ならば、是非カニを食いにボルティモアに行きたいものだ。

そして、ボルティモアでカニを食った後には、27年前に行きそこなったニューヨークにも是非とも。

このささやかな夢が叶わんことを!

 

LINEで送る
Pocket

第9回史上最強のクイズ王で西村を追い詰めた男–長束恭行

LINEで送る
Pocket

交遊録に入れるには年が下過ぎて、あんまり仲良く付き合った記憶はないのだが、そこはクイズ界、テレビ画面越しに活躍する姿を見ていると、初対面でも以前からの知り合いのように話せてしまう仲。

HCMCに遊びに来たという長束恭行と先週末一緒にメシを喰った。

Nagatsuka Yasuyuki

カテゴリはちょっと違う気もするが、「ああ言えば交遊録」というタイトルにはうまくあてはまりそうな人物なので(失礼)、番外編として入れておくとする。

まず、Wikipediaから長束の経歴を抜粋する。

長束 恭行(ながつか やすゆき、1973年1月9日 – 血液型O型)は、日本の愛知県出身のクイズ挑戦者、スポーツライターである。現在はリトアニア在住。

高校時代から視聴者参加型クイズ番組に多く出場し、同志社大学経済学部在学中にクイズ研究会を設立。特に『史上最強のクイズ王決定戦』(TBS)の第9回大会における西村顕治との早押しクイズでの激闘が有名。クイズ大会の優勝歴には、1992年に行われた日本学生クイズ連盟主催のオープン大会『第10回マン・オブ・ザ・イヤー』がある。

東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)行員時代の1997年クロアチアで行われたUEFAチャンピオンズリーグの試合を見たことでサッカーに対する感銘を覚える。その後スポーツライターとしてクロアチアと日本を往復する生活を繰り返し、2001年から同国首都・ザグレブ在住となる。ザグレブ大学クロアチア語コースを修了。

ザグレブ在住となった時から現地のスポーツ専門サイトのカメラマンとして活動するほか、サッカー雑誌の記事執筆、やべっちFC~日本サッカー応援宣言~テレビ朝日)のクロアチア代表偵察要員としての出演など、多方面で活躍。

2011年より、生活の拠点をクロアチアからリトアニアへと移した

私より7才年下なので、直接会った記憶はないのだが、彼の話だと、私と稲川さんが呼び掛け人として興した名古屋の社会人クイズサークル「どえりゃあもんくらぶ」に高校生の時から出入りしていたという。

 

第13回ウルトラクイズ後に私に会っていると長束は言うのだが、私は例によって記憶が定かでない。

ウルトラ以降で名古屋に寄る機会はなさそうなものだが、仲野隆也主催の企画があって会っていると長束が言うのだから、きっとそうなのだろう。

他で言えば、直接顔を合わせたのはFNSの第2回と第3回らしい。その頃は、彼もまだ若くて、上位に入賞できなかったころなので、正直のところ、私の記憶にはあまり残っていない。

ただし、彼は私の獲れなかった学生日本一「マン・オブ・ザ・イヤー」のタイトルを獲っているし、「第6回FNS」準優勝や「第9回史上最強のクイズ王」での西村との差しの早押しでの激闘など、クイズの経歴からすれば、私を遥かに凌駕している。

テレビの視聴者参加クイズ番組がなくなってしまい、マニアばかりが集まる競技大会での難問クイズの路線を敷いたのが彼だという。

 

ともに海外在住ということで、ツイッターなどで以前から話をしていたが、今回は都合よく彼がベトナムに来てくれ、一緒にメシでも喰おうということになった。

彼はクロアチア在住時代に通訳兼サッカージャーナリストに転職し、現在に至っている。

だが、サッカージャーナリストなってからも、クイズへの情熱は変わらず、ときにクイズ界に辛辣な意見を述べたりしている。

 

まあ、昔を振り返ると話したいことは今でもあって、私と彼との接点といえば、名古屋の「どれりゃあもんくらぶ」だったり、はたまた「史上最強」での悔しい思いだったり、師匠筋の近況の話だったりする。

住んでいるところに、ロクな日本食レストランがないらしく、ベトナムに来る前に寿司が食べたいというリクエストがあったので、それに答えて、食事はリーズナブルな寿司屋にした。

実は、昨年のマン・オブ・シニアの後で、岐阜で稲川さんも交えて、3人で会おうかと話し合ったのだが、結局、都合が合わず、お流れになっていた。

でも、そう言えば、なぜか稲川さんの話で盛り上がることはなかったなあ。

まあ、いいか。

 

LINEで送る
Pocket

27年前にウルトラクイズで答えた「タックスヘイブン」が…

LINEで送る
Pocket

パナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」から流出した、いわゆる「パナマ文書」の問題で世界中が騒然となっている。パナマという「タックス・ヘイブン(租税回避地)」を利用して、大企業や大富豪らが課税を逃れていたという証拠の文書だからだ。

 

27年前の準決勝ボルティモアで答えた問題

そうした本質的な問題はさておき、27年前にウルトラクイズで準決勝ボルティモアまで勝ち進んだ際に、ちょうどこれに関する問題が出て、僕が正解を答えていた。

You Tubeで見返してみたが、我ながら、まあ、なかなかのいいところでボタンを押していたように思う。

 

ツイッター上で大反響

で、これが当時の視聴者の皆さんの記憶にも残っていて、ツイッター上で予想以上に多くの反応があったのには驚きを禁じ得なかった。

 

時事ネタ絡みだし…

まさにお祭り状態。それにしても、27年前だよ。

ホットな時事ネタ絡みとはいえ、みんな、よく憶えてくれているね。

これだけの話題なら、萩原津年武さんのブログでも採り上げられるかも。

それにしても、これだけたくさんの人に記憶に残っているというのは、いかにウルトラクイズが凄い番組だったかということだろうね。

  

 

LINEで送る
Pocket

秋利美記雄とは

LINEで送る
Pocket

秋利美記雄

 

秋利 美記雄[1](あきとし みきお、1966年 – )は、日本実業家。クイズプレイヤー。合同会社カラコロモ代表。山口県下関市出身。名古屋大学卒業。

目次

人物

アメリカ横断ウルトラクイズ

1984年『史上最大!第8回アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ系列)で予選を突破するも、グアムの「突撃○×泥んこクイズ」で敗退。その後同年12月に、第14回で機内ペーパークイズ1位となった大石禎らと共に名古屋大学クイズ研究会を創設。さらには社会人クイズサークル「どえりゃあもんくらぶ」を同大学クイズ研究会の後輩であった仲野隆也(現・有限会社セブンワンダーズ代表)や五島滋子(第1回ウルトラクイズ準優勝)と共に設立。

1989年『史上最大!第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』で5年ぶりに予選を突破し、オーストラリア大陸上陸、アメリカ本土上陸を果たす。出場者の1人である長戸勇人をライバル視しており、第9チェックポイントのショットオーバーで行われた「地獄のお叫びクイズ」では秋利の絶叫フレーズが「長戸帰れー!!」(それを聞いた長戸が「秋利帰れ」と言ったため、長戸の絶叫フレーズが急遽「秋利帰れー!!」に変更された)、準決勝のボルティモアで行われた「通せんぼクイズ」は、長戸、永田喜彰田川憲治と 対決。準決勝用に用意された問題140問が使い果たされるほどの激戦を繰り広げ、長戸の通過を8回阻止するが、田川と共に破れる(なお、罰ゲームとして行 われた3位決定戦を制したので、3位秋利、4位田川となっている)。その後ファミリー劇場の「今だから話せるアメリカ横断ウルトラクイズ丸秘証言集 PARTII」で秋利、長戸、永田、田川の4人が出演し、特別ルール(番組当時の構成を担当していた萩原津年武が 製作した10問の問題に早押しで解答。正解で1ポイント、不正解でマイナス1ポイント)で再現されたボルチモアの戦いで優勝し、リベンジを果たしている (だが、長戸と永田がお手つきを連発、秋利と田川は無解答だったため、最終的には長戸と永田がマイナス1ポイント、秋利と田川が0ポイントという結果だっ たので、易しい決勝問題を正解した秋利が勝利した)。第14回にも出場したが、ドーム予選で敗退した。

その後も、『FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!』、『カルトQ競馬)』に出場するなどクイズプレイヤーとして活動を続ける。

設立した名古屋大学クイズ研究会は、秋利と長戸との対決が縁となり、同研究会最大のライバルである立命館大学クイズソサエティーとの交流戦である「名立戦」(めいりつせん)[2]を、国立と私立との垣根を越え、毎年11月頃に定期的に実施するようになった[3]

実業家として

1993年シンガポールに移住し、1995年にはベトナムホーチミンに移住。

1997年にアパレル会社の通訳を経て、2003年5月にホーチミンにてアパレル商社Maido Co., Ltd.設立。

2009年、日本の貿易会社カラコロモ設立し、アパレルのコンサルティングやポータルサイト「アパレルリソースインインドシナ」を立ち上げるなど東南アジアを中心にビジネスを展開している。

脚注

  1. ^ 公式サイトでは「美記雄」になっているが、クイズ番組出演時には「美紀雄」となっている。
  2. ^ 立命館大学側では「立名戦」(りつめいせん)とも称する場合もあるが、正式名称は立命館大学側も名古屋大学側も「名立戦」である。
  3. ^ 名古屋大学クイズ研究会公式ホームページ「名古屋大学クイズ研究会の紹介」また、名古屋大学クイズ研究会公式Twitterおよび立命館大学クイズソサエティー公式Twitterのいずれもの過去のツイートで名立戦の実施が確認できる。

外部リンク

 

LINEで送る
Pocket

1年ぶりのテレビ出演にファンともども興奮!

TV東京「イチゲンさん」
LINEで送る
Pocket

誕生日でのお祭り騒ぎも醒めやらぬ中、いよいよ年末に行われた「マンオブシニア」がテレビ放映される日がやってきた。

となると、やはり「帰れTシャツ」も再登場か!

ようやく今頃になって「帰れTシャツ」の意味がわかった若者もいる。若者といっても30代かひょっとして40代かもしれないが。

うれしいこと言ってくれるのはTシャツのデザイナーさん。

「帰れTシャツ」を着て、テレビ観戦している人に写真アップをお願いしてみた。すると…

こんなことで喜んでもらえてサイコー!

そして、いよいよ番組に登場。

おしゃけさん、ありがとう。こういうよくわかっている子のツイートに「いいね」♡つけたった。

だけども、予選の結果は…

テレビ東京「イチゲンさん」

テレビ東京「イチゲンさん」

 

クイズ研究会を題材にした漫画「ナナマルサンバツ」の作者・杉基イクラ先生からもツイートが。

期待に応えられずゴメンナサイ。

長戸帰れー!秋利帰れー!

知り合いからも突然ツイートが来たり。

そして、放映終了。

放映終わっても、興奮醒めやらぬファンの方も。

見逃しちゃった人は残念。

番組の感想をしっかり書いてツイートしてくださった方もいる。 クイズファンの期待に応えられてテレビ東京のスタッフの方々もうれしいのでは。

さらに、翌日になって…

寝ても覚めても、醒めやらない方には、是非これを!

まだまだ遅くないですよ、「帰れTシャツ」をほしい方はAMAZONでぽちっとやってくださいな。

それから、「帰れTシャツ」をお買い上げの皆さんは、AMAZONのカスタマーレビューへの書き込みも宜しく。

 

LINEで送る
Pocket

私の50歳の誕生日は「帰れTシャツ」祭りと化した

ホーおじさんと記念撮影
LINEで送る
Pocket

昨日はクイズファンの皆さんのおかげで楽しい50歳の誕生日を迎えることができました。

写真やメッセージを送ってくださった皆さん、

ありがとうございます。

DMやFBでもいただいたメッセージもあるのですが、twitterのタイムラインで「帰れTシャツ」を着てのお祝いを呼び掛けてもらったので、それを中心にブログに残して記念とさせていただきます。

呼びかけ人の一人qandaさんはわざわざ東京ドームまで行ってTシャツ姿を記念撮影。

よく見ると、素肌に半袖。この寒いさなかに、ご苦労さんでした。 盟友どろかばくんからも熱いエールが届く。

どろかばくんからは誕おめメッセージまでいただきました。ありがとう。

他にも、いろんな方から。

販売はひとまず今月末までの予定です。 欲しい方はお早めにお求めください。

写真はなくても、ともかくお祝いのメッセージはありがたいものです。

マンオブシニアが取材を受けたテレビ東京の番組の宣伝もちょうどいい具合に。

みんな顔出しNGなのがちと残念。DMでは顔の見られる写真もいただいたのだけど、ここで紹介するわけにはいかないだろう。差し支えない方は連絡ください。あとから、追加します。

ウルトラクイズbotでは懐かしい場面の再現シーンも。

初めて出場したクイズ番組は第8回ウルトラクイズ。今から30年以上も昔の話です。一瞬にして泥に消える場面が私の最初のTVクイズ出演でした。 そして、皆さんもご存じの通り、第13回ウルトラのショットオーバーではこんなやり取りがありました。

「帰れTシャツ」のルーツを追いかけていくと、この場面にたどり着くわけです。

話題は一転して、この10日間ほどドル円相場は急降下。結果からすれば、歴史的な大暴落と言っても過言ではないでしょう。

とくに、昨日は114円台から始まったのに、いったん110円台まで下がり、その後、113円台まで跳ね上がったりと、ドル円相場までがバンジージャンプのごとくの動きをしました。

 

まだまだ遅くないですよ、「帰れTシャツ」をほしい方はAMAZONでぽちっとやってくださいな。

それから、「帰れTシャツ」をお買い上げの皆さんは、AMAZONのカスタマーレビューへの書き込みも宜しく。

 

LINEで送る
Pocket

1989年のボルティモアの闘いは永遠に忘れない–長戸勇人

長戸勇人
LINEで送る
Pocket

交遊録でこの男に触れぬ訳にはゆくまい。
今日のマンオブシニアの戦いの前に記しておこう。

ウルトラクイズで見ていただいたように僕は長戸と仲良しではない。(笑)
最近、メッセージをいただいたファンの方々の中には、放映当時まだ幼くて本当に仲が悪いと思っていて、今年初めの再放送を見て、友達だったんだと気づいた人もいたみたいだ。
仲良しではないというのは、冗談で、言ってみれば、良きライバルだったから。

Baltimore 4

80年代後半の学生クイズ界は完全に西高東低で、名大と立命館のトップが学生№1の時代だった。
仲野、加藤、長戸と86年から3年連続で両サークルからマンオブを制覇する者が出ているし、予選のペーパーは僕ら名大がトップのシード席をほぼ独占した。

関東の学生サークルはクイズから離れてお遊びのサークルと化していたが、彼らが70年代生まれを中心に巻き返すのは90年代初めの日本一決定戦ものからだ。

長戸の記憶では、僕との初対面の時の早押し対決で、7○3☓ルールのときに6-0から僕がひっくり返して勝ち、奴は自分よりも早押しで強い奴がいることに衝撃を受けたという。
以来、両サークルの交流と重なるように、ホノルルクラブの合宿などで僕たちは時々会って対決した。

だから、13回のウルトラクイズで彼も僕も予選を勝ち抜き、更にはオーストラリア、アメリカを残って、一緒に戦えたことを僕は心底喜んでいた。

決勝は長戸と戦って勝利したいと思っていた。彼はその前年のマンオブで優勝し、勢いがあったし、その彼を破ってこそ、文句なしの王座につけると思ったから。

ボルティモアの準決勝の前の晩、僕と長戸はホテルが同室で、夜遅くまで翌日の勝負への思いを語り合った。
「どうしても明日は勝つ」と。正確には「勝たなければならない」だし、「勝つ運命にある」だった。

長戸の言葉を拝借するが、ボルティモアの戦いはきっと神様が残しておいてくれたプレゼントなのだと思う。
僕や長戸のためだけでなくて、すべてのクイズファンのために。

Baltimore again

さて、今日はきっとまた、ボルティモアとは違った新たなドラマが生まれるぞ。

LINEで送る
Pocket

「TVクイズ大研究」は60年代生まれのバイブルだ–北川宣浩

ホーチミン市での北川宣浩氏
LINEで送る
Pocket

マンオブシニアの開催に因んでということで書き始めたこの交遊録で、マンオブシニアに参加できる60年代生まれの人を中心に書いてきたが、クイズ仲間の交遊録ということなら、やはり先輩方にも触れずには済ませられない。

ウルトラクイズがきっかけでクイズの道に入った僕にとって、クイズ人生の起点に位置し、かつ、クイズの師匠でもあるのが、北川宣浩氏だ。

北川氏は、ちょうど一回り上の世代で、第2回ウルトラクイズを初め、多くのクイズ番組で優勝されており、所謂「クイズ王」のはしり的な存在として知られている。
1981年に自らのクイズの勉強法を紹介した「TVクイズ大研究」は僕ら60年代生まれの世代のクイズマニアのバイブルとなった。

北川宣浩

これまで紹介した同世代のクイズ仲間はいずれもこの本をもとにクイズの勉強に励んできた。
僕らの世代のクイズ仲間はいずれも「北川チルドレン」と言っても過言ではなかろう。

僕は彼の「TVクイズ大研究」の中で書かれていた「クイズスターにファンレターを出すには」という項目を読んで、本の著者である北川氏自身に手紙を出したところ、ご丁寧に返信をいただいた。
以来、長年、手紙のやり取りでクイズの勉強についてアドバイスをいただいた。
そのころ、長戸勇人も同じように北川氏に手紙を書き、彼の家まで遊びに行ったと後日告白している。

当時はファンレターをもらう立場がどんなものか想像つかなかった。
ウルトラクイズに出て、ちょっとしたクイズスターになって、同じ立場に立つなんて驚きだし、そういう時の北川氏の対応のことを思い出し、できるだけ、手紙をいただいた方々には返事を書くようにしている。

最近ではSNSなどで簡単に直接連絡がとれる時代だ。当時の手紙をしたためていた時代とは隔世の感がある。

北川宣浩氏とHCMCにて

実は、昨年9月、ベトナムに来られるということで、事前にツイッターでご連絡をいただいた。
そして、来られた際にはホーチミン市をご案内・ご同行させてもらった。

クイズの会場などで何度かお会いしたことはあったのだが、丸々2日間じっくりお話したのはこのときが初めてだった。

 

北川氏はブログを毎日書かれていて、これがなかなか面白い。

イケてる、モノ・コト

また、ご自身のサイトには出版されたクイズ本や出演された番組の記録が写真入りでしっかりとまとめられている。クイズの好きな方は訪れてみて絶対に損のないサイトだ。

北川宣浩のホームページ

北川氏は旅行関係のお仕事をされているので、またベトナムへいらっしゃることを楽しみにしている。

LINEで送る
Pocket

第11代ウルトラクイズの王者にしてRUQS創設者–稲川良夫

稲川良夫
LINEで送る
Pocket

僕が創設した名古屋大学のクイズ研究会は昨年末に30周年を迎え、昨年は盛大な記念パーティーを行ったのだが、その際に聞いたのは、こうして30年以上続いているクイズサークルは極めて少ないとのことだった。

僕らより長い歴史を持つのは東京では、早稲田、慶応、東大、関西では立命館くらいで、我々名大はその次あたりに長寿のクイズサークルということになる。

年末に開催されるマンオブシニアはそうした老舗の大学のクイズ研のメンバーも多数参加する。

先日、我が名大の盟友・仲野を取り上げたので、今度はライバルに目を向けたい。

我々名大の長年のライバル校といえば立命館大学で、年末に行われている対抗戦は今年で26年目を迎え、対戦成績は名大の12勝14敗で、2つ負け越している。

1986年から一緒にマンオブに参加したが、ウルトラクイズの11回、12回、13回の3連覇あたりから、差をつけられてしまった。それまでは、互角以上と言ってもいいくらいだったのに。

その立命館大学のクイズサークルといえば、ご存知、RUQSで、その創設者が第11回の優勝者でもある稲川良夫氏である。

後輩連中からも「稲ちゃん」とか「ジジイ」とかの愛称で呼ばれる、親しみやすい性格のおじさんである。

そもそものきっかけはトリビアルパスート日本選手権で我々が上位独占したことを聞きつけ、どんなサークル活動をしているのが、彼が名大に遊びに来たことに端を発する。

以後、箱根の西側の大学クイズサークル同士で交流が始まり、学生日本一決定戦のマンオブには、仲良く大垣夜行で東京まで向かったものだ。

1986年の我々名大の完全制覇の時には、準決勝で、僕が稲川、長戸、鎌田という当時のRUQSの主力3人衆を通過クイズで破って決勝に進出したが、87年、88年にはRUQSに学生日本一の座を明け渡した。

稲川氏は岐阜の大垣出身で、大垣は完全に名古屋圏なので、出逢った当時(4+1)回生だった彼は卒業後の名古屋での社会人クイズ・サークルを作りたいという気持ちも腹の中に秘めていたらしい。

それで、彼に会って意気投合し、名古屋に社会人クイズ・サークルを作ろうということでできたのが、「どえりゃあもんくらぶ」である。僕も参加していた初期は、寺島満智子氏、五島滋子氏、宮崎良雄氏、宮崎武雄氏、加藤厚氏といった錚々たるメンバーが揃っていた。もちろん名大からは仲野も参加していて、企画担当として活躍してくれたが、これは仲野の紹介ページでも触れたので、ここでは繰り返さない。

そして、彼はこのサークルからちょっと足の遠のいた頃にあの「事件」が発生する。

「稲ちゃん」後楽園(ドームになる前)を通過するという「事件」だ。

毎年8月のウルトラで大物が予選を通過すると、9月になると、彼は今どこまで行っているという話題で毎日が持ちきりだった。

「稲ちゃん」の時も、どうやら敗者復活で名古屋に行ったらしいから始まって、日々刻々、次から次へ情報が入ってきていたことは憶えている。でも、どうやって入ってきていたのかはあまり定かでないのだが。

東京は、村田さんを中心としたホノルル・ルート、関西は関クイ-RUQSのルートで、あとは名古屋のどえりゃあもんのルートだったはずだ。

そして、稲ちゃんは、とうとう優勝してしまった。第11代のウルトラクイズの王者である。

昨日までは、簡単に叩いて捻り潰していた存在が、急に巨大な羨望の的に変身したことに、なんとも言えないやるせなさを感じたことはたしかだ。

アタック25での優勝というタイトルはあるものの、他はとくに目立った成績は残していない。でも、ウルトラクイズの優勝者というタイトルがあれば、それで十分すぎるわけだ。まったくもって羨ましい。

以後、90年代初めの日本一決定戦番組で何度か顔を合わせたりした程度で、それがある時、とんねるずの番組のコーナーでダイビングクイズをやって、僕が簡単に勝ってしまったのだが、あまりに面白くなさすぎてか、没になってしまい、オンエアされず終いだった。

彼自身、その後何年も経ってから、ふと思い出したように僕のことを「クイズティーチャー 秋利美紀雄」と題してブログに書いている。

……その後とんねるずの番組の1コーナーでダイビングクイズ(=1対1の対戦クイズでそれぞれがすべり台に乗り、クイズに正解すると相手のすべり台の傾斜が一 段大きくなっていって、先にすべり落ちたほうが負けというレトロクイズ)をやっていたとき、クイズ王対決と銘打った回で、僕が呼ばれたことがあった。相手 はなぜか秋利。本番では僕と秋利が1問ずつを答えてお互い1段階ずつアップした3問目、秋利が答えて僕のすべり台がもう1段あがったところで、僕はこらえ きれずにあっけなく風船の海にすべり落ちた。「秋利がクイズ王対決に勝利」した瞬間なのだが、あまりにあっけなく勝敗がついてしまったため、その収録は結局オンエアされずにお蔵入りになってしまったのである。

ハウエバー稲川のパチンコ島通信」よ

 
最近はツイッター上でときどき会話したりもしている。
ツイッター上には、ウルトラファンの女性らも大勢いるが、愛される存在「稲ちゃん」は健在で、彼女らにも人気のようだ。

クイズトークライブ今年は7月にクイズジャパンのトークライブで、二十数年ぶりに顔を合わせ、当時の思い出話を語り合った。とにかくいっぱいしゃべりたい人なので、好き放題しゃべらせてやっていたら、ご満悦そうだった。話好きのいいおじさんであるのは、今も昔も変わらない。

年末のマンオブシニアも参加できることになったみたいだし、また会って当時の思い出話に花を咲かせることができると思うと、今から楽しみだ。

 

LINEで送る
Pocket