26年前の日記を読み返しながら、当時を振り返っているのだが、旅の最中に挑戦者ツアーの中で流行ったことについて、一言触れておこうと思う。
第13回ウルトラクイズは各大学のクイズ研究会のメンバーが多く残ったことでよく知られている。
クイズ研究会のメンバーのウルトラクイズの参加はおそらくは第6回か7回くらいに遡るのではないかと思うが、年々その参加人数は増え、スタッフもこのクイズ研対策に相当神経を擦り減らしていたらしい。 その甲斐あってか、第12回まではそれほど目立ってクイズ研ばかりが残ってしまうということはなかった。
だが、
だが、第13回は違った。
東京ドームの○☓クイズで、クイズ研ばかりが大量に予選を通過してしまったのだ。
予選通過は、東大の18人を筆頭に、立命館、我らが名大も10名以上の予選通過者を出した。成田のじゃんけん第2次予選に集まった参加者のうち、半数以上はクイズ研だったのだ。
成田のじゃんけんやグアムの泥んこといった一発勝負の場面で負けて、落ちる者もいたが、いかんせん分母が大きすぎた。 だから、グアムを勝ち抜いてオーストラリアまで辿り着いた挑戦者の8割くらいは、クイズについては素人ではなく、そうしたいわばプロ集団だった。
モーリーでごっそり8人が脱落した後の14人の中で、クイズの嗜みのないのは、アベ姉と正木の二人だけだった。
中でも、複数の挑戦者が残っていたのが、上記の3大学出身者で、それぞれ後輩数名が残っていた。
当時は、現在と違って、通信手段が貧弱だったので、遠方の相手に連絡をとるのは手紙や電話しかなかった。 僕も旅の途中で何度がハガキを書いて送った記憶がある。
ウルトラクイズに自分のサークルのメンバーが挑戦者として残っていれば、当然、その状況が気になるもので、時折、連絡して報告してやるのが同じサークルの仲間というもの。ウルトラクイズはニューヨークまで勝ち進むと、9月が丸々クイズの旅となるのだ。
そこで、登場するのが「伝書鳩」。 僕らのクイズの旅では、僕や長戸のようなウルトラ仕込みの意地悪な先輩が、同じサークルの後輩で、クイズに負けて先に帰る者をいつの間にか「伝書鳩」と呼ぶようになっていた。
我が名古屋大で言えば、オーストラリアに着いて早々に吉野がゴールドコーストから飛んで帰り、続いて、モーリーから長谷と片山。さらには、シドニーでトシノリまで飛んで帰ってしまい、私の手持ちは尽きてしまった。
長戸は道中、山本や恒川を手慰みに伝書鳩扱いしていた。山本などは長戸に伝書鳩呼ばわりされると、「長戸先輩、次はきっと(クイズの実力差の出にくい)インスピレーションですよ。長戸さんが伝書鳩になって帰る番ですよ」などと反抗していたのだが、彼はそのインスピレーションクイズで負けて帰ることになる。
そして、アメリカ大陸に上陸してからは恒川が早々に帰国して、ウルトラクイズの旅の状況を日本の仲間に報告するのであった。
今では、スマホで現場の写真から動画から簡単に送れる時代だが、当時はそんな時代が来るとは、到底予想し得ないころだった。 大体にして、50歳を迎える我々オジサン世代は、日進月歩の現代の通信事情には疎いものだが、中でも、格別にアナログな長戸などは、いまだに「伝書鳩」時代から進化しておらず、ついこの先日までSNSにもろくに触ろうとしなかった。
それが今年年末の特別企画(下記お知らせご参照)を実施するに及び、恐る恐るFBを始めた。
この辺りの顛末は、原始人が現代文明に初めて遭遇する場面を想起させるものがあって面白い。彼のコラムに記されているので、興味のある方は一度読んでみるといい。
ファンの皆様のご要望にお応えして、ショットオーバーの大声クイズをテーマに「帰れTシャツ」を作成、販売することになりました。現在、下記のサイトにてデザインを募集しています。デザインの腕に自身のある方は是非ご応募ください。
[ 「帰れTシャツ」デザイン募集のページ]
<リツイート希望>ファン皆様、お待たせ致しました。ショットオーバーの「帰れTシャツ」のデザイン募集のお知らせです。 多くのデザイナーの方に参加いただけるようリツイートのご協力お願い致します。 http://t.co/9x5jrwTspr— 秋利美記雄 (@saigon1995) 2015, 9月 25
最近のコメント