マンオブシニア

1年ぶりのテレビ出演にファンともども興奮!

TV東京「イチゲンさん」
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誕生日でのお祭り騒ぎも醒めやらぬ中、いよいよ年末に行われた「マンオブシニア」がテレビ放映される日がやってきた。

となると、やはり「帰れTシャツ」も再登場か!

ようやく今頃になって「帰れTシャツ」の意味がわかった若者もいる。若者といっても30代かひょっとして40代かもしれないが。

うれしいこと言ってくれるのはTシャツのデザイナーさん。

「帰れTシャツ」を着て、テレビ観戦している人に写真アップをお願いしてみた。すると…

こんなことで喜んでもらえてサイコー!

そして、いよいよ番組に登場。

おしゃけさん、ありがとう。こういうよくわかっている子のツイートに「いいね」♡つけたった。

だけども、予選の結果は…

テレビ東京「イチゲンさん」

テレビ東京「イチゲンさん」

 

クイズ研究会を題材にした漫画「ナナマルサンバツ」の作者・杉基イクラ先生からもツイートが。

期待に応えられずゴメンナサイ。

長戸帰れー!秋利帰れー!

知り合いからも突然ツイートが来たり。

そして、放映終了。

放映終わっても、興奮醒めやらぬファンの方も。

見逃しちゃった人は残念。

番組の感想をしっかり書いてツイートしてくださった方もいる。 クイズファンの期待に応えられてテレビ東京のスタッフの方々もうれしいのでは。

さらに、翌日になって…

寝ても覚めても、醒めやらない方には、是非これを!

まだまだ遅くないですよ、「帰れTシャツ」をほしい方はAMAZONでぽちっとやってくださいな。

それから、「帰れTシャツ」をお買い上げの皆さんは、AMAZONのカスタマーレビューへの書き込みも宜しく。

 

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1989年のボルティモアの闘いは永遠に忘れない–長戸勇人

長戸勇人
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交遊録でこの男に触れぬ訳にはゆくまい。
今日のマンオブシニアの戦いの前に記しておこう。

ウルトラクイズで見ていただいたように僕は長戸と仲良しではない。(笑)
最近、メッセージをいただいたファンの方々の中には、放映当時まだ幼くて本当に仲が悪いと思っていて、今年初めの再放送を見て、友達だったんだと気づいた人もいたみたいだ。
仲良しではないというのは、冗談で、言ってみれば、良きライバルだったから。

Baltimore 4

80年代後半の学生クイズ界は完全に西高東低で、名大と立命館のトップが学生№1の時代だった。
仲野、加藤、長戸と86年から3年連続で両サークルからマンオブを制覇する者が出ているし、予選のペーパーは僕ら名大がトップのシード席をほぼ独占した。

関東の学生サークルはクイズから離れてお遊びのサークルと化していたが、彼らが70年代生まれを中心に巻き返すのは90年代初めの日本一決定戦ものからだ。

長戸の記憶では、僕との初対面の時の早押し対決で、7○3☓ルールのときに6-0から僕がひっくり返して勝ち、奴は自分よりも早押しで強い奴がいることに衝撃を受けたという。
以来、両サークルの交流と重なるように、ホノルルクラブの合宿などで僕たちは時々会って対決した。

だから、13回のウルトラクイズで彼も僕も予選を勝ち抜き、更にはオーストラリア、アメリカを残って、一緒に戦えたことを僕は心底喜んでいた。

決勝は長戸と戦って勝利したいと思っていた。彼はその前年のマンオブで優勝し、勢いがあったし、その彼を破ってこそ、文句なしの王座につけると思ったから。

ボルティモアの準決勝の前の晩、僕と長戸はホテルが同室で、夜遅くまで翌日の勝負への思いを語り合った。
「どうしても明日は勝つ」と。正確には「勝たなければならない」だし、「勝つ運命にある」だった。

長戸の言葉を拝借するが、ボルティモアの戦いはきっと神様が残しておいてくれたプレゼントなのだと思う。
僕や長戸のためだけでなくて、すべてのクイズファンのために。

Baltimore again

さて、今日はきっとまた、ボルティモアとは違った新たなドラマが生まれるぞ。

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1980年代のクイズ界に彗星の如く現れたプリンス–相原一善

相原一善
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年末のクイズの祭典「Man of the Year Senior」の開催まで残り3週間を切った。

出場する人しない人、いろいろだが、かつてのクイズ仲間の思い出を綴ってみたい。

「クイズ仲間ああ言えば交遊録」と題して、マンオブ開催まで毎日とは言わないが、2日に1回位書いていきたい。

さて、この「クイズ仲間ああ言えば交遊録」のトップバッターは相原一善だ。

相原について、ひょっとして一般の方々はご存じないかもしれないが、今回のマンオブシニアでは大会実行委員長を務めている。

なぜ彼が僕のクイズ仲間の交遊録のトップに来るかといえば、いまだに付き合いのある同世代のクイズ仲間のうちでも、もっとも長い付き合いだからだ。

彼は僕よりも1つ歳上で、高校2年のときにクイズ・アタック25の一般大会に出場、周りの大人たちを破って優勝したのだ。当時、高校生や中学生がこうした番組出る機会といえば、夏休み高校生大会とか中学生大会だったので、番組を見ていて、一般の大人に混じって出られるなんて思いもよらなかった。しかも、彼はそこで優勝してしまったのだ。クイズに志していた当時の秋利少年にとっては、彼は突然現れたシンデレラ・ボーイだった。

相原一善

高校時代に相原に送った手紙–今も保管してあるという。ラブレターでなくて良かった(笑)

それで、この番組を見て、きっとこの相原くんも自分と同じようなクイズマニアにちがいないと勝手に思い込み、テレビ局経由で彼に手紙を出してみた。すると、彼からも手紙が返ってきて、それ以来ずっと大学も違えど、クイズ仲間と言うわけである。

彼と直接顔を合わせるのは大学時代で、東京の早稲田や慶応の学祭などに出かけたり、ホノルルクラブの会合に参加したりの際だ。ホノルルクラブの合宿の際にめったに会えない学生仲間同士で交流戦を行なったりしたのは懐かしい思い出だ。

大学2年から3年に上がる春休みには、日刊スポーツ主催でトリビアル・パスートというクイズのボードゲームの大会が東京で開催されたのだが、その際は彼と組んで出場、見事、準優勝を勝ち獲った。大学の違う異色のペアだった。

僕が大学3年のときに準優勝した1986年のマンオブでは、日本クイズ学生連盟の会長を西村顕治が務め、相原はその下で実務の中枢を担っていた。そして、翌年には彼は連盟(通称:学連)の会長を務める。先に掲げた写真はその当時のものだ。

相原一善

大学時代、彼が名古屋に来て、遊びに行った遊園地のチケットだ。いわくつきのもので、いまだ残っていたそうな。でも、まさかこれまでこのブログにのっけられるとは、思ってなかったろうな。ご本人はドッキリだけど、見ている人には何のことだかわからないから、まあいいだろう。

ウルトラクイズの際はだいだい彼と一緒に行動していた。

まず、第1問めに関しては、まだあたりの暗い早朝から彼やホノルルクラブ会長の村田さんと連絡をとり、毎年正解の情報を入手していたものだ。

第13回のときには、彼は就職活動中ということで、たとえ勝っても出られないことがわかっていた。それで、100名が決定する直前に周囲の多くの人を引き連れて自爆してくれた。ナイスアシストだった。感謝、感謝。

でも、彼自身は、アタックの優勝以降は、ぱっとせず、クイズの歴史においては、彗星のように現れて、彗星のように消え去ってしまった。

ちなみに、ちょっと個人情報を垂れ流しておくと、相原の誕生日は1964年7月29日でちょうど長戸勇人の誕生日の1年前にあたる。同じような関係が僕と西村顕治で僕の誕生日1966年2月11日の1年前が西村の誕生日というわけである。それがどうしたと言われれば、それまでのことでしかないが。

今回のマンオブシニアの開催においては、一緒になって大会開催まで頑張ってきた。あと一息というところだ。

昔からの仲間とともに一つの目標に向かって頑張るというのも悪くない。

今後も是非仲良くしていきたい貴重な友人だ。

 

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