1989年

新年

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あけましておめでとうございます

 

2018年の正月はサイゴンの中心で迎えた。

 

街中バイクの波で動けないし、車もバイタクも捕まえようがなくて、結局、歩いて家まで帰ったよ。

ツイートに「いいね」がたくさんついている。 皆さん、ほんとにありがとう。

中には、こういう人もいるのでちょっと説明しておこう。

時は1989年9月27日。第13回アメリカ横断ウルトラクイズの準決勝ボルティモアでのこと。

もう30年近く前のことなのに、一言つぶやくだけで皆さんが思い出してくれる。

 




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わが心のボルティモア

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昨年、1989年の第13回ウルトラクイズの記憶をたどった26年前日記を公開してから、ぼくの思い出の奥底にあったものが再びよろよろとはばたきだした。

あのころ、クイズにかけた情熱。

それは、年末に開催されたマン・オブ・シニアで少しだけ蘇ってきた。

懐かしい友達との同窓会では、でも、久しぶりにしっかりとクイズを楽しんだ。ぼく自身は予選で敗退したのだけど。

 

1989年9月27日ボルティモア決戦

今でも多くの人たちが記憶にとどめてくれている第13回アメリカ横断ウルトラクイズのボルティモアの準決勝。

 

 

ぼくはこの番組に出場した当事者だったのだ。今からもう27年も昔のことだ。

 

結局、勝負では負けてしまったが、大舞台で神経をピリピリさせながら、ボタンを押すのは実に楽しかった。

通せんぼクイズのルールが見事に決まって、誰がお立ち台に立っても潰されて、一から出直しという過程を繰り返した。

優勝した長戸とは、学生時代、何度も夜通しで早押しクイズを楽しんだ仲だったが、まさかウルトラクイズの準決勝の大舞台でそんな姿を全国のテレビ視聴者の皆さんに見せられるとは思いもしていなかった。

でも、それが現実になったのだ、しかも、最高のパフォーマンスの形で。

そして、多くの人たちの記憶にボルティモアはウルトラクイズ最大の激戦地として記されたのだ。

 

 

記録をたどってみると…

そのボルティモアで一緒に負けて帰ってきたたー兄こと田川さんの記録によれば、あのときぼくたちがボルティモアにいた時間は24時間もない。

26日午後に前のチェックポイントであるメンフィスを飛び立ち、昼過ぎにワシントンのダレス空港に着いて、ボルティモアのホテルにチェックインしたのは16時。

ホテルを出て、皆でハンバーガーを食べ、夕食はトメさんとの会食。

翌27日は朝2時間近くの長丁場の勝負が終わって、13時にはダレス空港に着いている。

勝負が決着する瞬間まで緊張の連続で、ボルティモアにいたのかどこにいたのかわからないというのが実感だ。

 

ボルティモアってどんな町?

改めてボルティモアがどんな町なのかを調べてみると、なかなか魅力的な町らしい。

ボルチモアの名前はメリーランド植民地の建設の立役者であるアイルランド貴族院議員の第2代ボルティモア男爵、シラス・カルバートCecilius Calvert, 2nd Baron Baltimore)に由来する。爵位の名の由来のなった「ボルティモア」はアイルランドの南部にあるコーク州にある都市「ボルティモア (Baltimore, County Cork)に由来し、これはアイルランド語で「大きな家の町」を意味する「バイレ・アン・ティー・モーイル(Baile an Tí Mhóir)」が英語風に変わったものである。

町の名前はアイルランド語から来ているというわけだ。

クイズの決戦会場となったマクヘンリー要塞があるくらいだし、歴史的な建築物は多い。

古い街並みだけはなんとなく僕の記憶にもある。

カニが名物ならば、是非カニを食いにボルティモアに行きたいものだ。

そして、ボルティモアでカニを食った後には、27年前に行きそこなったニューヨークにも是非とも。

このささやかな夢が叶わんことを!

 

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1989年のボルティモアの闘いは永遠に忘れない–長戸勇人

長戸勇人
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交遊録でこの男に触れぬ訳にはゆくまい。
今日のマンオブシニアの戦いの前に記しておこう。

ウルトラクイズで見ていただいたように僕は長戸と仲良しではない。(笑)
最近、メッセージをいただいたファンの方々の中には、放映当時まだ幼くて本当に仲が悪いと思っていて、今年初めの再放送を見て、友達だったんだと気づいた人もいたみたいだ。
仲良しではないというのは、冗談で、言ってみれば、良きライバルだったから。

Baltimore 4

80年代後半の学生クイズ界は完全に西高東低で、名大と立命館のトップが学生№1の時代だった。
仲野、加藤、長戸と86年から3年連続で両サークルからマンオブを制覇する者が出ているし、予選のペーパーは僕ら名大がトップのシード席をほぼ独占した。

関東の学生サークルはクイズから離れてお遊びのサークルと化していたが、彼らが70年代生まれを中心に巻き返すのは90年代初めの日本一決定戦ものからだ。

長戸の記憶では、僕との初対面の時の早押し対決で、7○3☓ルールのときに6-0から僕がひっくり返して勝ち、奴は自分よりも早押しで強い奴がいることに衝撃を受けたという。
以来、両サークルの交流と重なるように、ホノルルクラブの合宿などで僕たちは時々会って対決した。

だから、13回のウルトラクイズで彼も僕も予選を勝ち抜き、更にはオーストラリア、アメリカを残って、一緒に戦えたことを僕は心底喜んでいた。

決勝は長戸と戦って勝利したいと思っていた。彼はその前年のマンオブで優勝し、勢いがあったし、その彼を破ってこそ、文句なしの王座につけると思ったから。

ボルティモアの準決勝の前の晩、僕と長戸はホテルが同室で、夜遅くまで翌日の勝負への思いを語り合った。
「どうしても明日は勝つ」と。正確には「勝たなければならない」だし、「勝つ運命にある」だった。

長戸の言葉を拝借するが、ボルティモアの戦いはきっと神様が残しておいてくれたプレゼントなのだと思う。
僕や長戸のためだけでなくて、すべてのクイズファンのために。

Baltimore again

さて、今日はきっとまた、ボルティモアとは違った新たなドラマが生まれるぞ。

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「帰れTシャツ」のデザイン決定!

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今日はオランダに住む娘の15歳の誕生日だということもあって、楽しく乾杯したい気分。

それに合わせるかのように、先日からの「帰れTシャツ」のデザイン・コンペの選考が終了し、当選作品が決定した。

当選作品はこちら。
b011  w001
今回のデザイン・コンペは造形のプロの方にも参加いただきたくて、クラウドソーシングでの公募という形をとったのだが、結果的には、番組に愛着を持って見てくれた方の作品を選ぶことになってしまった。ファンの方々の熱い思いが私の心に響いたということだろう。

デザインしていただいたのは「西沢おやびん&ハウウバー友の会」という、熱心なウルトラクイズ・ファンである西沢おやびんとその仲間の皆さん。決定後も私の細かな修正要望のひとつひとつに丁寧に根気強く対応いただいた結果、素晴らしい作品が完成した。

ここに心よりお礼申し上げる。

このデザインでは、Tシャツは白地と黒地の2色なのだが、生地の手配次第で、ひょっとしてベージュとネイビーに変更することも検討している。皆さんからのご意見もいただけると参考にしたい。

なお、Tシャツの販売開始については、12月初めを予定しているが、詳細は追ってご連絡したい。

皆さん、宜しく。

 

 <お知らせ> 
今年2015年の年末、東京でMan of the Year Seniorというクイズの大会及びパーティーを行うことになりました。これは私たちが学生時代に毎年年末に行われていた学生クイズ日本一決定戦のシニア版です。一般の方も見て楽しめる内容になると思います。
皆さん、是非お越しください。
開催日:2015年12月26日
開催場所:東京ウィメンズプラザ(渋谷区神宮前5-53-67)
詳細は公式サイトからどうぞ。FBページツイッターでも随時情報を発信しています。

 

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「帰れTシャツ」のデザイン・コンペに関わってくれたすべての皆様へ感謝!

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先日より、このブログ上で参加を呼びかけていた「帰れTシャツ」のデザイン・コンペは一昨日夕方をもって、提案募集を終了。

最終的に14名の提案者から32件の応募作品が集まった。現在、選考中である。応募作品を見たい方は下記よりどうぞ。

<「帰れTシャツ」デザイン・コンペ応募作品一覧> (人気投票も可能)

第13回アメリカ横断ウルトラクイズは26年も昔の出来事。その中の第9チェックポイント・ショットオーバーでの、僕と長戸がお互いを帰れと罵り合う場面はいまだに視聴者のファンの記憶に残っているらしい。ツイッターでそうしたウルトラクイズ・ファンの方々と話しているうちに、26年前日記同様うまくのせられて、Tシャツ作りについても、ついやりましょうと言ってしまった。こんな酔狂な企画に参加してデザインのアイデアを出してくれた皆様、さらには、公募を広く呼びかけてくださった皆様、まずはここに深く感謝を申し上げる。

来週中には決めてしまい、12月からの販売に間に合うようにしたいと考えている。

年末のマンオブシニアに参加される方々には是非着て来てほしいなあ。

 

 <お知らせ> 
今年2015年の年末、東京でMan of the Year Seniorというクイズの大会及びパーティーを行うことになりました。これは私たちが学生時代に毎年年末に行われていた学生クイズ日本一決定戦のシニア版です。一般の方も見て楽しめる内容になると思います。
皆さん、是非お越しください。
開催日:2015年12月26日
開催場所:東京ウィメンズプラザ(渋谷区神宮前5-53-67)
詳細は公式サイトからどうぞ。FBページツイッターでも随時情報を発信しています。

 

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あとがきのようなもの

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この26年前を振り返る日記はツイッター上でのウルトラクイズファンの方々や同じ第13回ウルトラクイズでグアムの泥の餌食となった泥カバさんとの会話の中から生まれたものだった。

 

26年前に第13回ウルトラクイズに出場した際に、毎日起こる出来事を簡単なメモ風に残しておいた記録が元になっている。

B5のノートに書き綴れられた文字は当時旅の中で、年齢が今の半分も満たない若造の自分が記したものであり、それを久しぶりにじっくりと読み返す作業は実に懐かしく楽しかった。

このブログでは9月4日から9月27日まで書き続けたが、実際の日記は9月1日に上京し、日テレに集合するところから始まっている。 日記の終わりは9月27日になっているが、この日LAで1泊したあとで、翌日のフライトで成田に戻った。パスポートには9月29日帰国のスタンプが押されていた。まさしく1989年の9月はまるまるウルトラクイズの旅で埋め尽くされた。

あれから26年という歳月が流れたのだ!

僕自身は、昨年2014年のベトナムの旧正月休みの際に日本に帰国し、Quiz Japanの取材を受け、久しぶりにボルティモアの4人で集まって、酒を飲み交わし、ファミ劇のウルトラクイズ再放送を取り仕切っていた大学時代の同級生とも会い、ウルトラクイズの再放送のための特番収録があって、…と、この2年間のうちにあの第13回ウルトラクイズを振り返る機会が相次いだ。

一方で、ツイッター上では当時のことを今でも昨日のことのように憶えてくれていて、今なお関心を持ってくれている方々がたくさんいる。あのボルティモアの激闘から20年以上経ってもウルトラクイズを楽しみたいという人たちの声が聞こえてくる。

たまたまウルトラクイズで勝ち進んで、ボルティモアの準決勝まで進んだ経験は、僕一人だけの経験として仕舞っておくべきものでもないだろうと思った。

自分の当時の思いを綴った日記を公開するのは、正直なところ、かなり気恥ずかしいものだが、当時、僕を応援してくれて、ひょっとして、今もまだ興味を持ってくれている人たちがいるなら、話の種を提供するくらいお安い御用だというのが偽らざる心境だ。そして、一緒に回想し、語り合い、楽しもうではないか!

当時の書き殴った文章は、あくまで自分自身のためのメモであり、文脈が不明確だったり、言葉足らずだったりして、今の僕自身ですら読みづらいので、それを補足する意味でずいぶん書き加えたが、文章のベースは当時体験した僕自身の心象風景にある。 とくに、最終日の9月27日の記事は、結果的に、ほとんど当時書いたもの、そのままを書き起こすスタイルとなった。たかがクイズごときに大仰な言葉遣いをしている部分など、今読み返すと顔から火が噴き出しそうだが、当時は真剣だったに違いない。笑って読み飛ばしてほしい。

198909

同時に、これらの記事を書きながら、当時の記憶を辿っていくと、また自分をクイズの世界に飛び込ませたくなってくる。

折しも、今年の年末には、長戸が言い出しっぺで企画したクイズ大会「マンオブ・シニア」&パーティーが東京で開催される。これには僕も発起人として名前を連ねているし、大会にも出場者として参加する。同窓会がてら、クイズの企画に、パーティーに時間のある方は是非ご参加いただきたい。

当時の思い出話を肴に語り合おうではないか!    

 <お知らせ1>  ファンの皆様のご要望にお応えして、ショットオーバーの大声クイズをテーマに「帰れTシャツ」を作成、販売することになりました。現在、下記のサイトにてデザインを募集しています。デザインの腕に自身のある方は是非ご応募ください。 [「帰れTシャツ」デザイン募集のページ]

 

 <お知らせ2>  今年2015年の年末、東京でMan of the Year Seniorというクイズの大会及びパーティーを行うことになりました。これは私たちが学生時代に毎年年末に行われていた学生クイズ日本一決定戦のシニア版です。一般の方も見て楽しめる内容になると思います。 皆さん、是非お越しください。 開催日:2015年12月26日 開催場所:東京ウィメンズプラザ(渋谷区神宮前5-53-67) 詳細は公式サイトからどうぞ。FBページツイッターでも随時情報を発信しています。

 

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ボルティモアでの決戦の時–1989年9月27日

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ついに決戦の時が来た。

起床は遅れたが、慌てなかった。

むしろ同室だった長戸のほうがドタバタしていた。食事が終わると、やつはすぐに部屋に上がった。永田さんが続き、ター兄はゆっくりと食べていた。ター兄もいなくなると、僕だけが残った。僕はゆっくりとコーヒーを飲んでから席を立った。

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長戸は何を着るか迷っていた。いつものことだ。だが、今日は特別な日。やつはオールブラックスを選んだ。僕は普段着、厚手のシャツの上に紺のトレーナーを着込んだ。
バスでクイズ会場へ移動。

予想通り、Fort McHenryでの通過クイズだった。
少し寒いかなとも思ったが、寒いくらいがいいだろうと思い、トレーナーを脱いだ。 席についた時、自分でも驚くくらい冷静だった。永田さんや長戸が緊張のためか寒さのためか震えているのがわかる。
苦手にしていたトメさんのインタビューが終わり、いよいよクイズの開始だ。
立ち上がりからとんとん拍子でボタンが付く。ボタンではけして負けていない。むしろ押し勝っているといってよい。不正解を出しても気にならない。度胸が座っている。これまでになかった落ち着きぶりだ。とくに、長戸が通過席に立った時は気合が入る。とにかくポイント以降では押させない。何度も潰しているうちに、負ける気がしなくなった。
早押しもこれまでにない超絶妙のポイントで押せていた。
「問題:俳句の季語を5つに分けるとき、春、..」(ピンポーン)「新年」とか、
「問題:自然は円筒形、球形、…」(ピンポーン)「セザンヌ」とか。
この大一番でこうした最高の早押しを見せられたことに我ながら喝采した。
僕が通過席に立ったのは、オンエアでカットされたのも含めて4度。
初めの問題は「ボナパルト」を「ナポレオン」と答えて不正解。しかし、これはタッチの差で押し勝っての結果。長戸にも永田さんにも押し負けていない。
2番目の通過問題はなんだったのだろう。とにかく「バーンスタイン」と答えてブー。
3番目の「パンセ」はタッチの差で長戸に取られてしまった。一節を答えさせるのかと一瞬躊躇ったのがいけなかった。
4番目は「太宰治」と答えるべきところを「中里介山」と答えて不正解。イチかバチかで押してみたが、ダメだった。
激しい大接戦に、ついに中途でブレイクが入った。録画テープが切れるので、テープ交換のために一旦休止ということだった。
この休憩時間には、解答席の前方の芝の上に4人で転がっていた。皆、にこにこしていた。まだ終わっていないのだが、オンエアもされていないのだが、これまでのウルトラクイズのすべてのクイズの闘いの中で最も壮絶な闘いだということは、誰もが感じていた。そして、それを僕ら4人が演じているのだ。このままずっと接戦を続けようかとか、今頃スタッフは問題作っているんじゃないかとか、あまりに休憩時間が長いんで、トンズラしてやろうとか、いろんな冗談が飛び出した。
(後でわかったことだが、このうち問題を作っているんじゃないかというのは冗談ではなかった!問題が切れてしまって、用意していたために、休憩時間が長かったのである) 19890927-3

ついには、「ニューヨーク行き」というボードの前で4人でバンザイしている写真まで撮った。そのうち2人は確実に行けないと知っていながら。

休憩後の長戸と永田さんの勢いは見違えるようだった。いや、僕のほうがおかしかったのかもしれない。もう十分にクイズを楽しんだという思いがあったのかもしれない。あの2人は前半の緊張が解けていて、日頃の自分に戻ってしまっていた。

こうなると、もういけない。いくら押しても、僕のボタンは点かない。

だが、気持ちがブレることはなかった。 しばらくして、長戸があっさりと勝ち抜けた。何とも思わなかった。後に続けばいいと思っただけだった。

永田さんが通過席に立った。自分には全くわからない問題が来て、一瞬、押そうと思った。そうしないと、永田さんが押すかもしれない。正解すれば、勝ち抜けてしまう。でも、押せなかった。まったく知らない問題にはこれまで手を付けていない。そうやってここまでクイズを楽しんで、最高の真剣勝負にしているのだ。あるいは、勝負師だったら、そうするのが当然だったのかもしれない。余計な、ある種のプライドのような心の塊が邪魔して押せなかった。そして、敗北!

でも、きっとあれで良かったんだと思う。僕のクイズ人生にきれいな終止符が打たれた。完璧なまでに美しく滅びた。「おれは負けたんだ」 トメさんが敗者のインタビューで「今日は強かったね」と言ってくれた。本当に強かった。それを見ていてくれたのが嬉しかった。塾の生徒のことを訊かれて、胸に詰まるものがあった。塾長が心よく送り出してくれたおかげで、何の心配もなしに旅することができた。それを思うと、急に喉がつかえた。

By: m01229

解答席に残されて、海に架かる橋を眺めていた。

やっと終わったと思った。こうやって、最高のゲームの果てに、最期を迎えられて、嬉しかった。たぶん笑っていたと思う。

さあ、ハチマキを解こう。そして、解き終わり、畳もうとした時、突然、目頭に何かしら得体のしれない熱いものが込み上げてきた。視界がぼやけて、もう溢れるものを押しとどめることができなかった。眼鏡を外し、ハチマキで目を押さえた。絶対に涙を見せたくないと思った。こらえようとするのだが、全身を揺さぶる正体不明の感情が呻き声となって、滲み出る。懸命に抵抗した。カメラが寄ってくるのがわかった。本当は大声で泣き喚きたかったのをやっとの思いでこらえた。

気持ちが落ち着くとハチマキを丁寧に畳んで胸のポケットに収めた。

また、海を見た。最後の日にうってつけの港町だった。

ター兄は言葉数が少なかった。つい、僕ばかりがしゃべってしまう。彼もショックな事には変わりない。

罰ゲームはレンガ運び。

僕は3位決定戦で勝って、アメリカ本土の地図のジグソーパズルをもらった。ただ、そこからトメさんがニューヨークの部分を取り上げてしまった。僕には縁がないのだ。

ボルティモアの空港で土産物をどっさり買った。ター兄と2人でLA行きの便に乗る。搭乗はD-13ゲート。13:30発。

機内でふと北川さんの「TVクイズ大研究」を読みたくなった。本を手に取ると、それだけで涙が出てきた。おしまいのページに何か書かなくてはと思った。そこに書く言葉は「ありがとう」なのか「さよなら」なのか、わからなかった。

LAに着くと、そのころニューヨークにいるはずの2人のことが脳裏をよぎった。2人は今頃どうしているのかと思うだけで、悔しくて仕方がない。悔しいと思ったのは、その時が初めてだった。 19890927-8

こうして僕の1989年のウルトラクイズの旅は終わりを告げた。
30枚綴のノートには、9月27日の後も記されるはずだったページが余白のまま続いていた。

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機内ペーパークイズの謎

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第13回ウルトラクイズの旅の中で謎のまま過ぎてしまったことがある。 そして、いまだに謎のまま。つまりは、永遠に真相は藪の中ということだろう。

それは何か。

僕の機内ペーパークイズの成績のことだ。

学生時代、僕は名古屋大学でクイズ研究会を興し、仲間とともにクイズにかけて日々研鑽を積んでいた。

当時、僕らのサークルには「問題製造機」の異名を取る仲野隆也という問題作成の猛者がいた。(彼は今ではクイズ番組などの問題作りのプロになってしまっている!)

ウルトラクイズの機内3択問題を模した3択問題を彼は毎週欠かさず100問ほど例会に用意してくるのだから、それは見上げたものだった。メンバーはそれに挑戦し、採点して発表するのがクイズの例会の恒例行事になっていた。 そのため、僕を筆頭に名大クイズ研メンバーの3択問題の成績は抜群で「3択の名大」の名を全国に轟かせていた。 p_report_20150729c

このころ、毎年12月には東京で学生日本一を決める「マン・オブ・ザ・イヤー」という大会が開かれ、僕は同じ大学の後輩らを引き連れ、参加していた。

この大会の第1次時予選は、ウルトラクイズの機内ペーパークイズ仕立ての3択クイズで、1986年と1988年の大会には、僕は予選1位を獲っている。(マンオブの予選1位を2回獲ったのは後にも先にも僕一人だ!)

1988年は同点の予選1位が、実はもう1人いて、それが長戸勇人だった。

やつはこの年、大会を制覇する。 とはいえ、この頃の僕はこの筆記3択形式のクイズには、ほとんど向かうところ敵なしと言ってもいいくらいの輝かしい実績を上げ、並々ならぬ自信を持っていたので、第13回ウルトラクイズの機内ペーパークイズの結果で、長戸勇人が1位と聞いたときには、正直がっくりきた。

それで、旅の最中に、何度かスタッフの人に機内ペーパークイズの成績を尋ねたことがあったのだが、はっきりした返事が返ってきたことはなかった。

10位くらいというような曖昧な答えが返ってきたことがあったが、どうひっくり返ってみても納得はいかない。

もし本当にそうだったなら、きっと採点ミスがあったに違いない。それほどまでにペーパー3択問題には自信があった。

30年近く経った今となっては、まあ、どうだっていいことなのだが。

それよりも、年末に開かれるマンオブ・シニア大会でもきっとこの3択ペーパークイズが行われるのだろうが、今となっては、反対にまったく自信なく、今から戦々恐々としている。

かつてのような予選トップは望むべくもないが、せめて予選落選だけは避けたいものだ。 果たしてどうなることやら???  

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決戦の前夜は静かに語り合い、自らの勝利を確信しつつ、眠りに落ちた–1989年9月26日

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メンフィスから準決勝の行われるボルティモアまで移動する。

10:25 メンフィス発

13:20 ボルティモア着

宿泊ホテルはホリデーイン。同室者は長戸勇人。

昼食はホテル近くでハンバーガーを食べた。$4で20代の若者が腹一杯になるだけの十分なボリュームだった。

それから、夕食まで何をしていたのだろう?記録していないし、憶えてもいない。

夜は日本食レストランShogunでトメさんとの会食。 皆、明日にかける気魄を漲らせていた。 19890926-1

夜、部屋に戻ってから、ベッドに潜りこみつつ、長戸と深夜遅くまで語り合った。
お互いに、自分が明日勝って、ニューヨークでも勝って優勝しなければならないということ。そうなる運命なのだということを、相手に静かに諭すように、しかしながら、情熱を込めて語った。
長戸も僕もお互いに背後にはこれまでの10年のクイズ人生が横たわっていたことを知っていたし、相手も手強いことを知っていたけれど、自分が明日の、さらには、ニューヨークでの勝者であることを確信していて、わずか微塵ほども疑いなどしなかった。
そうして、語り疲れて、僕らは眠りに落ちた。

こうして僕らの1989年のウルトラクイズの旅はつづく。

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ファンの皆様のご要望にお応えして、ショットオーバーの大声クイズをテーマに「帰れTシャツ」を作成、販売することになりました。現在、下記のサイトにてデザインを募集しています。デザインの腕に自身のある方は是非ご応募ください。
[「帰れTシャツ」デザイン募集のページ]
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メンフィスでは前日に引き続きクイズ、準決勝進出が決まり、緊張は頂点に–1989年9月25日

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朝4時半出発。 一人部屋で寝坊してしまい、皆の顰蹙を買う。永田さんに起こされて急いで支度する。 6時25分デンバー・ステープルトン空港発。 9時50分メンフィス国際空港着。 空港に着いても、荷物待ちで昼ごろまで待たされる。待たされるのは、もう慣れっこになっている。 ようやく市内観光に出発。 どこかでクイズがあるのではないかという恐怖にも似た感覚と、新米ツアコン松田の下手な案内であまり楽しくはない。プレスリーの自宅に行き、塀の落書きを見て回る。落書きというのは世界共通で下品なものだなと感じた。

昼食にはレッド・ロブスター。とれたてのタチウオを食す。大味で今ひとつと感じる。 3時前にホテルに着くと、いきなり先輩ツアコン加藤さんからクイズの予告があった。予告されて待つというのも辛い。 なぜだか知らないが、僕らはてっきり5人で準決勝して2人通過だと思っていたから、精神的な重圧は半端ではなかった。 クイズ開始前のインタビューでも緊張のあまり舌が縺れ、言葉にならなかった。 だが、クイズのルールを聞いて、ちょっとだけ安心する。オーソドックスな早押しで落ちるのは1人だけだからだ。永田、長戸の両名には先着されても、田川、木村の東大勢には負けることないと思っていた

だが、展開は意外だった。 ダッシュ田川の異名を持ったター兄が猛ダッシュで押すわ、押すわ。まったく考えすぎてない。 永田さんはいつものペースだが、問題の難易度がやや高めだったせいか、押しのバカスカ加減はそれほどでもない。 長戸は押してはいるものの、苦戦気味で、あまりボタンがつかなかった。 結局、ター兄9点、永田さん8点、僕7点の3人が大接戦で、長戸は4点。木村の声が聞こえないと思ったが、やはり1点だった。 長戸は隣の木村がほとんどやる気もないのを見て安心し、暢気にやっていたらしかった。木村は途中で観念してしまったらしい。 だが、この結果、準決勝のボルティモアは誰が勝ってもおかしくない、壮絶な戦いになることだけがはっきりした。 トマト戦争が終わってからというもの、我々挑戦者のツアーの空気は、たとえばバスの中で皆バラバラに座っているときでも、張り詰めていたが、ここに来て、それは極限までに達した。 19890925-3

こうして僕らの1989年のウルトラクイズの旅はつづく。

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