ボルティモアでの決戦の時–1989年9月27日

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ついに決戦の時が来た。

起床は遅れたが、慌てなかった。

むしろ同室だった長戸のほうがドタバタしていた。食事が終わると、やつはすぐに部屋に上がった。永田さんが続き、ター兄はゆっくりと食べていた。ター兄もいなくなると、僕だけが残った。僕はゆっくりとコーヒーを飲んでから席を立った。

19890927-1

長戸は何を着るか迷っていた。いつものことだ。だが、今日は特別な日。やつはオールブラックスを選んだ。僕は普段着、厚手のシャツの上に紺のトレーナーを着込んだ。
バスでクイズ会場へ移動。

予想通り、Fort McHenryでの通過クイズだった。
少し寒いかなとも思ったが、寒いくらいがいいだろうと思い、トレーナーを脱いだ。 席についた時、自分でも驚くくらい冷静だった。永田さんや長戸が緊張のためか寒さのためか震えているのがわかる。
苦手にしていたトメさんのインタビューが終わり、いよいよクイズの開始だ。
立ち上がりからとんとん拍子でボタンが付く。ボタンではけして負けていない。むしろ押し勝っているといってよい。不正解を出しても気にならない。度胸が座っている。これまでになかった落ち着きぶりだ。とくに、長戸が通過席に立った時は気合が入る。とにかくポイント以降では押させない。何度も潰しているうちに、負ける気がしなくなった。
早押しもこれまでにない超絶妙のポイントで押せていた。
「問題:俳句の季語を5つに分けるとき、春、..」(ピンポーン)「新年」とか、
「問題:自然は円筒形、球形、…」(ピンポーン)「セザンヌ」とか。
この大一番でこうした最高の早押しを見せられたことに我ながら喝采した。
僕が通過席に立ったのは、オンエアでカットされたのも含めて4度。
初めの問題は「ボナパルト」を「ナポレオン」と答えて不正解。しかし、これはタッチの差で押し勝っての結果。長戸にも永田さんにも押し負けていない。
2番目の通過問題はなんだったのだろう。とにかく「バーンスタイン」と答えてブー。
3番目の「パンセ」はタッチの差で長戸に取られてしまった。一節を答えさせるのかと一瞬躊躇ったのがいけなかった。
4番目は「太宰治」と答えるべきところを「中里介山」と答えて不正解。イチかバチかで押してみたが、ダメだった。
激しい大接戦に、ついに中途でブレイクが入った。録画テープが切れるので、テープ交換のために一旦休止ということだった。
この休憩時間には、解答席の前方の芝の上に4人で転がっていた。皆、にこにこしていた。まだ終わっていないのだが、オンエアもされていないのだが、これまでのウルトラクイズのすべてのクイズの闘いの中で最も壮絶な闘いだということは、誰もが感じていた。そして、それを僕ら4人が演じているのだ。このままずっと接戦を続けようかとか、今頃スタッフは問題作っているんじゃないかとか、あまりに休憩時間が長いんで、トンズラしてやろうとか、いろんな冗談が飛び出した。
(後でわかったことだが、このうち問題を作っているんじゃないかというのは冗談ではなかった!問題が切れてしまって、用意していたために、休憩時間が長かったのである) 19890927-3

ついには、「ニューヨーク行き」というボードの前で4人でバンザイしている写真まで撮った。そのうち2人は確実に行けないと知っていながら。

休憩後の長戸と永田さんの勢いは見違えるようだった。いや、僕のほうがおかしかったのかもしれない。もう十分にクイズを楽しんだという思いがあったのかもしれない。あの2人は前半の緊張が解けていて、日頃の自分に戻ってしまっていた。

こうなると、もういけない。いくら押しても、僕のボタンは点かない。

だが、気持ちがブレることはなかった。 しばらくして、長戸があっさりと勝ち抜けた。何とも思わなかった。後に続けばいいと思っただけだった。

永田さんが通過席に立った。自分には全くわからない問題が来て、一瞬、押そうと思った。そうしないと、永田さんが押すかもしれない。正解すれば、勝ち抜けてしまう。でも、押せなかった。まったく知らない問題にはこれまで手を付けていない。そうやってここまでクイズを楽しんで、最高の真剣勝負にしているのだ。あるいは、勝負師だったら、そうするのが当然だったのかもしれない。余計な、ある種のプライドのような心の塊が邪魔して押せなかった。そして、敗北!

でも、きっとあれで良かったんだと思う。僕のクイズ人生にきれいな終止符が打たれた。完璧なまでに美しく滅びた。「おれは負けたんだ」 トメさんが敗者のインタビューで「今日は強かったね」と言ってくれた。本当に強かった。それを見ていてくれたのが嬉しかった。塾の生徒のことを訊かれて、胸に詰まるものがあった。塾長が心よく送り出してくれたおかげで、何の心配もなしに旅することができた。それを思うと、急に喉がつかえた。

By: m01229

解答席に残されて、海に架かる橋を眺めていた。

やっと終わったと思った。こうやって、最高のゲームの果てに、最期を迎えられて、嬉しかった。たぶん笑っていたと思う。

さあ、ハチマキを解こう。そして、解き終わり、畳もうとした時、突然、目頭に何かしら得体のしれない熱いものが込み上げてきた。視界がぼやけて、もう溢れるものを押しとどめることができなかった。眼鏡を外し、ハチマキで目を押さえた。絶対に涙を見せたくないと思った。こらえようとするのだが、全身を揺さぶる正体不明の感情が呻き声となって、滲み出る。懸命に抵抗した。カメラが寄ってくるのがわかった。本当は大声で泣き喚きたかったのをやっとの思いでこらえた。

気持ちが落ち着くとハチマキを丁寧に畳んで胸のポケットに収めた。

また、海を見た。最後の日にうってつけの港町だった。

ター兄は言葉数が少なかった。つい、僕ばかりがしゃべってしまう。彼もショックな事には変わりない。

罰ゲームはレンガ運び。

僕は3位決定戦で勝って、アメリカ本土の地図のジグソーパズルをもらった。ただ、そこからトメさんがニューヨークの部分を取り上げてしまった。僕には縁がないのだ。

ボルティモアの空港で土産物をどっさり買った。ター兄と2人でLA行きの便に乗る。搭乗はD-13ゲート。13:30発。

機内でふと北川さんの「TVクイズ大研究」を読みたくなった。本を手に取ると、それだけで涙が出てきた。おしまいのページに何か書かなくてはと思った。そこに書く言葉は「ありがとう」なのか「さよなら」なのか、わからなかった。

LAに着くと、そのころニューヨークにいるはずの2人のことが脳裏をよぎった。2人は今頃どうしているのかと思うだけで、悔しくて仕方がない。悔しいと思ったのは、その時が初めてだった。 19890927-8

こうして僕の1989年のウルトラクイズの旅は終わりを告げた。
30枚綴のノートには、9月27日の後も記されるはずだったページが余白のまま続いていた。

 <お知らせ1> 
ファンの皆様のご要望にお応えして、ショットオーバーの大声クイズをテーマに「帰れTシャツ」を作成、販売することになりました。現在、下記のサイトにてデザインを募集しています。デザインの腕に自身のある方は是非ご応募ください。
[「帰れTシャツ」デザイン募集のページ]

 

 <お知らせ2>  今年2015年の年末、東京でMan of the Year Seniorというクイズの大会及びパーティーを行うことになりました。これは私たちが学生時代に毎年年末に行われていた学生クイズ日本一決定戦のシニア版です。一般の方も見て楽しめる内容になると思います。 皆さん、是非お越しください。 開催日:2015年12月26日 開催場所:東京ウィメンズプラザ(渋谷区神宮前5-53-67) 詳細は公式サイトからどうぞ。FBページツイッターでも随時情報を発信しています。

 

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コメント

  1. 星に願いを より:

    ついにこの日が来てしまいましたね。
    チャンピオン以外は、いつかは負けて去らねばならない宿命。
    クイズの神様も誰を勝たせるのか、かなり悩んだと思われます。
    毎日貴重な日記を公開してくださいまして、本当にどうもありがとうございました(涙)

    1. AkitoshiMikio より:

      最後まで読んでいただきありがとうございました。

  2. 山中 より:

    ありがとうございました。『26年前日記』楽しく読ませて頂きました。
    私は26年前、中学2年生でした。第13回をビデオに撮って何度も見て、ウルトラクイズへの憧れを強くしました。ウルトラクイズが終わって僕のクイズ熱も冷めていましたが、昨年の再放送からまた盛り上がってきております。年末の大会も家族と調整して観に行きたいと思います。
    ところで、この記事の中で「クイズ人生にきれいな終止符が打たれた」とありますが、長戸さんだけでなく、秋利さんも第13回を最後に最前線を退いた、ということでしょうか?

    1. AkitoshiMikio より:

      実際には、ウルトラクイズの後もクイズ番組には出ていますが、ボルティモアの戦いが終わった後はすべてが終わったとしか感じられませんでした。
      あの後のクイズ出場は余興でしかありません。

  3. 真魚りすぽん より:

    いつも、読ませて戴いてます。
    当時、わたしは中学1年でした。ウルトラクイズは、小学2年から見ていましたが13回のウルトラクイズは特別な作品でして初めてウルトラクイズ問題集を買ったのもビデオ録画したのもそしてどっぷり見たのもこれが初めてでこれを機に出たいって気持ちが沸いたのを今でも覚えてます。ウルトラクイズの特集が出てる雑誌などを買い漁っていたのもわたしは色褪せないんですよね。

    これからも、がんばってくださいね!

    (Facebookでもツイッターでもお世話になっております!)

    1. AkitoshiMikio より:

      応援ありがとうございます。

  4. 角英史 より:

    これからもクイズや、そうでないものでも、拝見したいです。

    1. AkitoshiMikio より:

      このブログでも関心のあることを次々に発信していくつもりです。宜しくお願い致します。

  5. pon より:

    突然のコメント失礼いたします。
    セブンワンダーズの長戸さんのコラムでこちらの事を知り、田川さんのブログと併せて毎日読ませていただきました。

    26年前、私は13歳で中学1年生でした。
    チェックポイントの美しい景色とわかりやすい解説、そしてそこで行われる奇想天外なクイズに毎週ドキドキしながらテレビを見ていたのが思い出されます。

    中学生の私にとって、ウルトラクイズの熾烈な戦いは「テレビの中の物語」のような感じがしていたのですが、26年が経ち、私もそれなりに大人になってから挑戦者の方の記録を読むとまた違った事を感じます。

    貴重な記録を公開してくださいましてありがとうございました。

    年末のイベント、観覧しに行く予定です。
    頑張ってください。

    1. AkitoshiMikio より:

      最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
      年末のイベントでお待ちしております。

  6. 角英史 より:

    実はこのブログを、旅行中のスペインで読んでいましました。異国でアメリカでの戦いの話を読むのは、日本で読むのとは違う感覚があります。

    1. AkitoshiMikio より:

      ベトナムで書かれた26年前のオーストラリアとアメリカでの出来事をスペインで読む時代ですね。
      世界は狭くなりましたね。

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